お手を煩わせないように、精進します

他のひとの仕事を手伝う毎日が続いています。今日はデータの二次チェックをされている方の業務を朝から手伝っていたのですが、夕方の少し落ち着いた頃に、その方からお礼と一緒にタイトルの言葉がメールで飛んできました。

この方は元々生産性が高く、逼迫したひとに声をかけては進んで手伝ってくれるタイプで、物腰が柔らかく穏やかな風貌から我が部署の仏の異名を持っています。精進だなんて仏というか修行僧のようですが、そんなハイスペックなお方が復職後もたいして使い物になっていない私になんて畏れ多いお言葉を、と恐縮してしまいました。

そもそも抱えていたデータ量はひとりでチェックするにはかなり多く、毎日数時間の残業を余儀なくされており、お手を煩わされているのはあなたの方ですよと言いたいくらいです。

 

やさしいひとが多い職場なのだろうと、最近思うようになりました。

ひとに対してやさしすぎて、誰かを頼るより自分が荷を負うことを選んでしまうのではないかと感じます。限界まで踏ん張って壊れてしまうひともいれば、よかれと思って誰かのために動いた結果が無駄な作業だったり押し付けになってしまったりするひともいます。

かくいう私も復職後のリハビリも兼ねてひとの手伝いにまわっている状況ですが、面倒な案件は私に押し付けて少しでもみなさん楽になればいい、などという姿勢を取りがちです。調子に乗って面倒ごとを引き受けて誰かの役に立っていると悦に入りながら、溜まっていく仕事に徐々に押し潰されそうになります。助け合いと自己犠牲のバランスを取るのが下手なのでしょう。

難しいことをこなして仕事の質を高めていくのも必要ですが、上手に誰かを頼ったり、やるべきこととそうでないことの線引きをしたりする力をつけるという意味でも、精進しなければと思います。

私の手なんていくらでも煩わせたらいいさと言えたらかっこいいかもしれませんが、一応管理者の末席を汚す身としては、業務量の平均化や再分配を考えつつ、時間が来たから今日はもう帰ろうよ、と言える強さが欲しい。

やさしさに報いるには、遠慮や謙遜ではなくていつでも差し出せる手が必要だと感じています。