今でも親に縛られていたのだと気づいて悲しかったこと

あまり親との関係が良好でないと思っている。親はどう思っているかわからないが、少なくとも私自身は同居によって受けられる恩恵よりもストレスの方が上回る。実家と同一市内とはいえ、ひとり暮らしができていることで自分を制限する親から解放されたと思っていた。

 

在職中に休職を繰り返していた頃、時々母親から電話がかかってきていた。

体調はどうなのか、食事は取れているのかと確認はされるものの、苦しい・動けないと伝えたところで駆けつけてくることがないのはわかっているので、適当に話をしていた。毎回必ず金銭の心配をされ、足りないなら言えと繰り返される。現段階ではそこまで困窮するほど金銭的に追い詰められておらず、私が貯金をするのは親に借りを作りたくないという理由もあるので、意地でも援助は受けたくないと思ってしまう。

頑なに金銭面での援助を断り続けていると、ある時「こういう場合、甘えられるときは甘えていい」と言われたのだが電話を切った後、ありがたさや嬉しさより急激な悲しみに襲われた。どうして私が子どもの頃に、私自身に対してそんなふうに言ってくれなかったのか、とこみあげた。同時に、嫌だ嫌だと言いながら、未だに母親に依存している自分に嫌気がさした。

 

何でもかんでも親を原因とするような考え方をしてもしょうがないと思って、何より親と対峙するのが不気味で、とにかく距離を置くことで平静を保ってきたように感じる。親がいなくとも平穏無事に暮らしているひともいるから自分もそのつもりで生きればいいと思っているのに、人間関係でのトラブルに直面した時、陰に親の姿を見てしまう。

正面切って親に立ち向かったところで今さら関係が良好になるとは思わない。お互いに言葉も気持ちも伝わらないまま傷つくだけの結果が予想できる。普通に会話をしている時でも、物事に対する目線があまりにも違うと感じるからだ。職場で管理者目線で話すタイプと作業者目線で話すタイプがぶつかり合って会議が全く進まないことがしょっちゅう起きていたが、きっと似たようなことになる。

 

とりあえずこのブログや描いている漫画や読んでいる本のことを親に知られたくない。知られたら最後、全てをチェックして干渉してくることが予想されるからだが、親の前ではおそらく思春期の子どもと同じになっている己を恥じる。それくらい親に縛られたままであったことが悲しい。

さっさとこんな縛りから脱出したい。そのためには親と対決することでもセラピーなんぞを受けることでもなく、創作のネタにでもしてしまうのが健康的であるように思う。