あのひとの歳になったとき、私が今よりも成長していますように

やりたいことがある、と職場の上司が退職しました。一回りも歳の差はないけれど、私にとっては経験値があまりにも違いすぎて追いかけるのが精一杯だった方でした。休職するところまで自分を追い込んでしまったとはいえ、この4年今の職場に留まっていられたのはきっと、同じ目線に立ってくれた上司がいたからだと思っています。

ほとんど毎月退職者が出る慢性的に人手不足な状況に加え、業務上のミスが頻発してリカバリーに奔走していた残業続きの現場に、上司はいつも最後まで残って仕事をしていました。

チェック作業だけで5時間近い残業が続いていたある日、上司と一部の管理者しか残っていない閑散としたブース内で「みんないい歳して、なぜ自分の業務を全うしないのか、歳を取っても大人なんていない」と怒りに駆られたことがありました。その怒り自体、私自身が子どもであることの証明になってしまったに等しいわけで、今思うに恥ずかしい限りです。上司はそんな子どもの繰り言を「歳を取ったから大人になれるわけじゃない。年齢に応じて、自動的に成長できるわけじゃないんだよね」と静かに受け止めてくれました。

ミスを減らし生産性を上げるためには、自分が嫌われ役になってでも鬼のように現場管理をしなければ立ち行かないのではないかと私が思い詰めていた頃も、怒りと恐怖で統率を取ろうとすれば必ず破綻することを繰り返し語っていた上司。業務上のトラブルから仕事のグチまで、いつも誰かに呼び止められては絶えず話を聴いて、問題を解決したり、のらりくらりとかわしたり。柄にもなくアグレッシブだった当時の私は、そんな上司のやり方をぬるいと感じることも正直ありました。ですが、人の気持ちに寄り添い、じっくりと外堀を埋めていくやり方は、少なくとも私のいる職場では必要不可欠だったのだと思います。

問題に対して劇的な解決方法なんてものはなくて、いろいろとあげつらったところで物事はちっともいい方向に向かわないのだけれど、それでも困った時はまずあの上司に話してみる、そんな暗黙の了解がいつしかできあがっていました。明日からは相談する相手はもういないから、自分たちでなんとかするしかありません。

上司がやってきたような交渉ごとはできないし、聴き上手でもないし、頭もよくないのは自分でわかっています。それでも、自分もやりたいことに身を投じることができるように、少しでも成長していきたいと思うのは、上司から受け取った言葉があるからです。

ありがとうやお世話になりましたで終わらない、大人として強く生きるための糧を心の底で静かに養い続けたいと切に願います。