ただの日記/1月28日

先日の雪のせいか屋外に出していたフェンネルが頭を垂れた稲穂の如くぐったりしていた。冬場の水遣りの頻度は少なくて良いということだったが、さすがに枯れてしまうだろうかと今朝久しぶりに水を遣ると帰宅時にはしゃんと上向きに戻っていた。

丈夫で虫がつきにくいらしいと聞いて無精者でも育てられるかもしれないと昨年の夏に購入したもので、おざなりな我が家の管理体制にも文句を言わずこの寒いのに緑色をしている。小さな鉢に植えているせいかあまり伸びないが、本当は2mくらいになるらしい。そんなに大きくなっても困るので今くらいの背丈でちょうどいい。ふさふさした葉をつけるので、頃合いを見てちぎっては鮭と一緒に蒸して食べる。植物はインテリアではなく食物である。

転じて室内で水耕栽培しているミントは紅葉を通り越して真っ白に燃え尽きそうな様相を呈している。茂っていた葉は8割方落ち、いたずらに伸びた茎は赤黒くなるか白くなるかのどちらかだ。水耕栽培といっても空いたペットボトルに苗を挿しているだけなので、こちらもずいぶん丈夫なものだと思う。茎を触るとミントの香りがする。暖かくなって葉がつきはじめたら、またお茶にしようと目論んでいるが果たして今の状態から復活できるものなのか見当もつかない。

子どもの頃から植物を育てるのがあまり上手でなく、夏休みの朝顔の観察日記も一番の見どころであるはずの開花を見逃しており、終わった後の種集めが楽しみだった。ミリオンバンブーは日照不足と根腐れで枯らし、サボテンも気づけば干からびているくらい植物の生育に根気よく取り組めず、そのたびに植物の面倒もみられない無精で冷淡な性格なのだと落胆するのである。水を入れた花器に置いておけば成長して花が咲く球根は好きだった。アボカドの種を育てていたこともあったが、秋口だったせいか葉が4枚ほど出てきたところで成長が止まり枯れてしまった。

繰り返し失敗を経験しているのに植物を育てたい欲はなくならず、性懲りもなくフェンネルとミントを置いているわけだが、どちらも食べられるという実用性を備えているがゆえに、これまでの植物遍歴からすると割り合いうまくつきあっていけているように思う。雪の日に屋外に放置しペットボトルに適当に挿しているだけでうまくつきあっているとはよく言ったものだと我ながらがっかりするが、ともかく生活を共にする植物はいるのである。

以前、高層ビルが立ち並ぶ街を植物でいっぱいにしたいのに、触れる植物みな枯らしてしまう女の子が出てくる漫画を描いた。研究機関で抜群の繁殖力を備えた改良種を生み出すのだが、自分の手で全て枯らしてしまうのだ。自分が築き上げてきたものを自分で壊してしまうのが怖ろしい。いつも、大切なものを自分から失ってしまうのではないかと怯えている。その怖れが物語なのではないかと最近思う。私は怯えながら話をし、文章を書き、フェンネルとミントに水を遣る。