笑いを求めている

最近お笑い番組を見ても笑うことができず、どうすれば笑えるかしらと考えあぐねています。

仕事で悶々とした時腹の底に何かが渦巻いていて、それを怒りと呼ぶのかもしれませんが、とにかく誰かと話してはいけないような気になってしまいます。たとえ外側に向けた思いであっても吐き出せば吐き出すほど己を蝕んでいくのを感じるので、何とかやり過ごしたいものですが歩こうが食事をしようが風呂に入ろうが一度溜まってしまったものはそうおいそれと落ち着きはしないのです。

感情のコントロールもできないのはダメな人間だと思っていたのですが、最近はわりと思うままに表出する感情を受け入れようとしている節があります。感情を持つのは自然なことであってコントロールできないほど抱え込んでしまうくらいなら怒りも悲しみも外に出してしまえと、考え方が変わってきました。腹の底にいろいろ溜めている以上、今でも我慢している部分はあるはずなので、我慢しているものをどうやって押し込めるかではなくどんな形で外に出すかを工夫したいと思っています。

どうせ外に出すなら穏やかでありたいとは思いますが、それができたらこんなに溜め込まないでしょう。何か愉快なやり方がないかと模索するも、重苦しい感情に囚われている時に創意工夫するほど頭は回っていません。そのままの感情を吐き出すと己のみっともなさに落ち込んでしまう無限ループに突入です。

楽しくなくても笑っていると楽しくなるという説がありますが、どうも不自然に思えて実践する気になれません。ひとりでニヤついている不審者になってしまいそう。ただし笑いはエロスを打ち消す力を持つくらい強力なので、どうしようもない怒りを吹き飛ばすには笑いを用いるのが効果的なのだろうと思います。

ならばお笑いでも観るのがよかろうと漫才やコントを試聴するもどうにも笑えないのです。面白いと思っても、笑いより先に話や構成のうまさにすごい、と感心していて妙な納得感だけが残ります。笑点を観ても和やかな気持ちにはなるだけで笑えはしません。同じものを見て笑っているひとの傍にいると、自分が喜怒哀楽の喜楽の部分が抜け落ちた生き物であるようで不安になります。

余裕のなさこそが笑いの欠落につながっているのだろうと思います。やりたいことを思いきりするのがいいんだけれど、暮らしに追われている感が拭えません。予定として「何もしない日」を作ろうかな。

 

笑う犬の生活だったら笑えるかもしれない……。リアルタイムで観ていた頃ははっぱ隊や小須田部長、トシとサチが面白かったけれど、今一番観たいのはてるとたいぞうです。

笑う犬の生活 DVD Vol.1 てるとたいぞう完璧版

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