初めての店に行くように

住宅地の一角に1軒の喫茶店がひっそりと営業していて、近くを通るたびに気になっていました。キッシュやスコーンを扱う英国風のお店のようで、自分が入店するのは場違いに思えて辺りを窺っては退散していたのですが、どうすれば入店するのに相応しくなれるのか考えても答えが出ません。考えていても仕方ないので、思いきってこわごわとお店の扉を開けました。

予想通り明るく清潔な店内に物腰の柔らかい店員さんがいて、落ち着いて過ごせる雰囲気のいいお店です。お茶も食事も美味しく、緊張しつつも和やかな時間を過ごせたのですが、この緊張感を保ったまま向き合える対象がどのくらいあるだろうかとふと思いました。

次にこの店を訪ねる時、緊張感や期待感は初めて注文した時に比べて薄らいでいるはずです。だからといって、勝手知ったる我が家の如く、気軽に、ぞんざいに過ごしてよいものだろうかと疑念が湧きました。ひとりで過ごすにも友人と連れ立って訪れるにもよさそうなお店だと感じたのですが、同時に居心地のよさに慣れたくないと思ったのです。

外食自体あまりしないとはいえ、お店に入るたびにしゃちほこばっているわけではありません。気軽に入れるうどん屋や、だらだら過ごせるコーヒーチェーン店も好きです。だからこそ、そんな中で出会えた緊張感を持って過ごせるお店を、そのまま大切に残しておきたいと思いました。

日頃どんなにだらしなくなっても、初めて訪れた時の感覚を忘れずにいられる場所が必要なのです。

歌舞伎役者は連日の公演を常に全力で演じるといいます。役者にとっては毎日同じ芝居の繰り返しですが、観客は毎日入れ替わり、そこには初めて歌舞伎を観るひとがいるかもしれないからです。初めて観た歌舞伎が適当に演じられたものであってはなりません。よりよく見せるために日々練習や研究を怠らない役者のように、自分が続けていることや大切にしたいことと向き合う時、初めての店に行くように緊張感を忘れずにいたいと思っています。

四六時中気が抜けないのは疲れてしまいます。でも、慣れによって新鮮味を失った代わりに得た安心感ばかりではなく、いつまでも気を張って対峙しなければならないものを抱えることも必要ではないかと思うのです。

生きることに慣れすぎなくてもいいのかもしれないと思いました。

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