行ってみたい時代に行ける時代は来るのだろうか

行ってみたい時代について考えるのは、誰かの人生を追体験したい欲望の表れにも思います。人間が誕生する前の時代であれば人生の追体験はできませんが、それでも己のルーツを求めることに深いつながりがあるのではないでしょうか。

本当に行けるなら845年頃から菅原道真公の一生を追いたいなあと思うのですが、同じくらい「行ってみたい時代に行けるようになった時代」にも行ってみたいです。

宇宙旅行が当たり前になる感じに近いものをイメージしているのですが、きっとアトラクションに乗る時のように違う時代への行き方帰り方が説明され、歴史に抵触しないようにルールブックが設けられ、万が一現代に戻ってこられなかった場合に備えてタイムスリップ保険なんてものもできるかもしれません。

時間はどう頑張っても巻き戻しも早送りもできません。だからこそ、記録を残して未来につなげていこうと、本や映画や音楽、それにブログもあるんじゃないかなと思うのです。

もちろん物理的に時代を超えることができるようになれば、過去の謎が判明するだろうし未来の不安を先取りして対策をとれるかもしれません。自分のこと、誰かのこと、世界のことを知りたい気持ちが少しは満たされるのではとも思います。でも、行ってみたい時代について想像したり、本を読んだり映画を観たりするだけで、もうその時代に行けているように今の私は思えるので十分です。

今週のお題は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の2作目において、主人公達が向かった未来が2015年10月21日だったことにちなんだ内容でしたが、余談ながら映画「ブレードランナー」の世界もあと4年後に迫ってきているのですね。東京オリンピックより先にアンドロイドの反乱が起きてしまうかも……ずっと観たい読みたいと思いながら手を出せていないので、まずは原作小説から読んでみようかなあ。

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