コントロールという、得体のしれない行為/メヒティルト・ボルマン『希望のかたわれ』

最近、手帳に関する本やビジネス書を意識して読もうとしているのですが、大抵「コントロール」という単語が出てきます。大雑把ですが、自己管理を行い効率よく仕事を進めるために、自分の感情や仕事の配分、運命までも「自分でコントロール」する必要があるといいます。

希望のかたわれ

希望のかたわれ

  • 作者: メヒティルトボルマン,Mechtild Borrmann,赤坂桃子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/08/19
  • メディア: 単行本
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メヒティルト・ボルマンの『希望のかたわれ』は、ドイツ、ロシア、ウクライナでの三者三様の行動が徐々に一つの流れに収束していく緯糸と、祖母・母・娘の三代記を経糸にした物語です。2010年を生きる登場人物は、変えようのない過去に思いを馳せ、障害の多い現実に苦しみ、未来が見えない、コントロールしようのない状況にいます。

そんな人々を2010年よりもずっと前から、組織や政府は掌握しコントロールし続けている姿が描かれます。国益を謳い、安全を強調し、言葉巧みに一個人の力ではどうにもならないところまで追い詰める、見えない大きな力です。

個人に残された道は、追い詰められる前に何も知らなかったことにして逃げ出すか、そのまま壊れてしまうか。ですが、それでも「今」があるということは、大きな力に一度は屈服させられても、再び立ち上がり生き続ける強さを持った人物も確かにいたという裏付けになるのではないでしょうか。

ひとが過去においてゆき、未来に思い描く「希望のかたわれ」は、時に救いとなり時に絶望に変わることもありますが、決して誰かが意図的にコントロールできるものではないはずです。

巨大な設備や技術を、組織を、ましてや人の心を、完全に思い通りに動かすことなんてできないのだと思います。いくらしっかりと手帳にログを残そうが、仕事術を駆使して効率よく働こうが、自分の心さえコントロールするのは容易ではないはずです。だからこそビジネス書は売れるのです。

 本作は福島の原発事故をきっかけに生まれ、本来の刊行予定を変更して日本での出版に踏み切ったそうです。物語はフィクションですが、数多く散りばめられた問題は「遠くのどこか」ではなく「今ここ」でまさに起きている出来事だと感じました。

怠け者の私はもう少し自分をコントロールする術を身につけたほうがよさそうですが、見知らぬ何かに掌握されコントロールされてしまう事態を、何も知らずに受け入れてしまいたくはないと思っています。

せめてコントロールできない何かが、知らぬ間に自分や他の誰かの希望になっていることを望んでいます。