年末調整官【第16回】短編小説の集い

テーマは「師走」、参加させていただきます。ぎりぎりになってしまいすみません。

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 ヒトシが手にした宝くじは確かに当選していた。大晦日のテレビ番組は人を追い立てる賑やかさで宝くじの当選番号を読みあげる。まじまじと見比べた手元の紙切れの番号とテレビ画面に映るそれは確かに一部当たっていて、4等と6等の当選額は、ここ数か月持ち出していた母のタンス預金の額と一致する。素直に喜べないのは、自分で買った宝くじではなかったからだ。奪われたはずの財布が戻ってきたうえ買った覚えのない宝くじが入っていて、しかも当選している。偶然とは思えなかった。
 不気味になって思わずテレビのチャンネルを変え、宝くじを財布に隠す。連日話題になっている市議会議員の収賄容疑のニュースが流れてきた。僕は悪いことはしていない、そう思った矢先、脅されて家の金を盗んできた罪悪感と、いじめられていることがばれた時の両親の顔が浮かんできた。大晦日の昼下がり、幸運を手にしたはずのヒトシは途方に暮れていた。

 商店街は年末セールでごった返している。歳末、安売り、ポイント5倍の文字が並び、クリスマスのオーナメントと正月飾りが雑多に連なっていた。足早に過ぎ去る人々を横目に、四つ角のコーヒーチェーン店のガラス越しにふたりの男が座っている。
「なー、ホントにここに座ってんのが今日の仕事なんすか? 今日イブっすよ、イブ。カップルがまじ目の毒なんすけど」
 経費で落ちるのをいいことに、最も値段の高いLサイズの抹茶ラテをすすりながら西日暮里が文句を垂れる。暗めの茶色に染めた短髪にリクルートスーツを着て椅子にだらりと座っていると、就職活動に疲れた学生のようにも見えるが、2度の転職を経て現在の会社に入社してから2年目を迎えようとしていた。
「今日は14時半までここで他愛のない世間話をしていればよさそうです。あとは拾得物を持ち主に返す仕事も残っていますよ、西日暮里さん」
 向かいに座る品川は、不満そうな西日暮里を気にするでもなくゆったりと口を開く。髪はほとんど白くなっているが、オーダーメイドのスーツを着こなし背筋を伸ばしてブラックコーヒーを飲む姿は、若者やカップルが席を埋めているチェーン店では浮いている。ソーサーの脇に開かれた手帳には1週間の予定が事細かに書かれていた。12月に入ってからは、西日暮里と共に外回りをする予定で埋まっている。
「何すかタワイノナイセケンバナシって? つうか未だにその西日暮里って呼ばれるの違和感あるんすけど、何でオレの名前、そうなったんすか? どうせなら渋谷とか新宿がよかったっす」
「そのあたりは会社が決めることですからね。私もよく知りません」
「いいよな品川さんは。フツーの名前じゃないすか。つうかここ東京じゃねえのに何でこんなネーミングなんすかね」
 金融系の研究機関Y.E.T.A総研の「年末調整課」に所属する社員は、皆本名ではなく会社から指定された名前で呼び合っている。所得控除の計算や源泉徴収票を発行をするような事務方ではなく、源泉徴収票には決して載らない、人の年間の運勢や巡り合わせの収支を調整するのが主な業務だった。
「あとオレ気づいたんすけど、年末調整って会社勤めしてるヤツがするもんなんすよね? オレ最近子どもばっか相手にしてますけど、意味あるんすか?」
「そういえば、高校生を突き飛ばしたりナンパしたりするような内容ばかりでしたね。まあ私たちが行う年末調整は、個人の1年間の帳尻合わせをしているようなものですから、業務内容が未成年に対するものであっても不思議はありませんよ」
「そうやって聞かされるとオレ犯罪者みたいじゃないすか」
「聞こえは悪いですが暴力はあなたの十八番でしょうに」
「え? そりゃハコじゃ暴れるぐらい踊り狂ってた頃もあったっすけど、暴力とかまじで聞こえ悪いからやめてくださいよ」
「ふふ、あなたと話していると話があさっての方向に飛んでいきそうで面白い」
「あさってじゃなくてそもそも今日はイブだっつう話っすよ、あー何でイブに仕事してんすかオレら」
 椅子に背をもたれて抹茶ラテを一気飲みし、追加のドリンクを注文しに西日暮里は席を立った。

 思えば高校に入学してから、ヒトシは早々にスクールカーストの最下層に追いやられつつあったのだ。同じ中学校から共に進学した友人たちは各々で部活や趣味の合うメンバーと交流するようになり、ヒトシは周りの流れについて行けず孤立していった。寄る辺なくおどおどとした雰囲気を醸し出してしまっていたのか、秋口には柄の悪い同級生だけではなく上級生にも目をつけられ暴力を振るわれていた。制服の上からでは決してわからないように、顔面ではなく腹部や背中を執拗に傷つけてくる。抵抗しないヒトシに優越感をおぼえた不良グループは、金銭を要求するようになっていった。
 自分の小遣いでは賄えなくなり、母のタンス預金を持ち出してまで不良グループの言いなりになっていたのは、親に情けない姿を見せて心配をかけたくなかったからでもあったが、誰かに相談したところで何も解決しないとひとりで決め込んでいたからでもあった。不良グループのリーダー格は親が有力者という触れ込みで、大人に動いてもらっても揉み消されてしまう可能性が高い。上級生が卒業して下級生が入ってくれば、自分に向けられた矛先が余所へ向くだろうと消極的な望みも抱いていた。
 ヒトシは体中にできた傷を隠し、奪われた財布はそのままに、ただ秘密を抱えて時が過ぎるのをじっと待っていた。

 昼時の混雑のピークを過ぎ、店内はパソコンを持ち込んで仕事をする男や店をはしごしてきたであろう主婦のグループが席を占めていた。書類や手帳に細かな字を書き連ねている品川に、追加でホットドッグとカフェラテを手にした西日暮里が無遠慮に話しかけ続ける。
「せめて何かでかい仕事はないんすかね、子どもの相手じゃなくて、強盗団の計画を阻止するとか、政治家の汚職を暴くとか」
「政治家といえば、先日あなたがナンパした女子高生は議員の子息と同じ学校に通っているようですよ」
「同じガッコに通ってるだけって、別にいくらでも他の生徒がいるじゃないすか。つうかオレが声かけたのって、フリーペーパーの編集のふりして『彼氏からもらいたいクリスマスプレゼント』のアンケートやっただけだし」
「でもそこで狙いどころのプレゼント情報を織り交ぜて話したわけでしょう」
「あー、スワロフスキーとかコーチのバッグとか? そんなもん高校生が持ってどうするんだっつうの」
「まあ使い道は置いておくとして、それを手に入れる方法は限られてくるでしょうね。親御さんにお願いするか、アルバイトでお小遣い稼ぎをするか」
「彼氏に買ってもらうか? 高校生同士じゃ無理っしょ、男の方が親の金くすねて買ってやったりすんのかな」
 からからと西日暮里が笑っている向こう側で、パソコンに向かっていた男がこちらの話に聞き耳を立てているのに品川は気づいていた。

 日に日に増していく金の要求に対応できなくなってきていたヒトシは、不良グループに腹を蹴られたりカッターで切りつけられたりする毎日に耐えていた。疲労がピークにさしかかろうとした日の帰り、駅のホームでサラリーマンにぶつかられ、よろけた勢いで脇腹をゴミ箱で強かに打ち付けた。アザや切り傷跡がえぐられ、思わずうずくまってしまう。
「うわ、そんなに強くぶつかったか? ごめんな、お前ちょっと病院行こうか」
 少し柄が悪そうな若いサラリーマンに半ば強制的に病院へ連れて行かれたヒトシは、ゴミ箱で打ち付けただけとは思えない傷跡を医者の前にさらすことになってしまった。財布も保険証も持っていないから、親の元へ連絡せざるを得ない。気づけば病院まで付き添ってくれたサラリーマンは姿を消しており、代わりに当惑した母の姿が現れる。タンス預金をくすねていたことは伏せたが、学校で暴力を振るわれていることは説明するしかなかった。母はしばらく学校を休むよう涙目で訴え、父は何も言わなかったものの、後姿には息子に対する心配と落胆が滲んでいた。
 母に言われるがまま学校を休んで冬休みに入ろうとしていた頃、初老の男性が家を訪ねてきた。不良たちに取り上げられたはずの財布を手にした男性は、財布に入れっぱなしにしていた学生証を見てわざわざ家まで届けに来てくれたという。父と同じ会社に勤めていて、ヒトシの話も少し耳にしていたとか言っていたが、後で父に尋ねるとそんな人物に覚えはないということだった。金はともかく、財布が戻ってきたのは嬉しいことで、久しぶりに中身を確かめる。学生証と本屋のポイントカードはそのまま残っていて安堵する。金は全く残っていなかったが、何故か生まれてこのかた1度も買ったことのない宝くじの束が入っていた。

「品川さん、もしかしてあの店にいた理由って記者にさっきの議員の話するためだったんすか」
 品川と西日暮里の話に聞き耳を立てていた男は週刊誌の記者だった。話の隙を縫って話題にしていた議員について声をかけてきて、議員の息子の交友関係について情報提供を求めてきた。
「さあどうでしょう、確かに件の議員は裏金工作をしているような噂もあるようですからね。まあもしかしたら、お喋りに興じていたご婦人方のために私たちはあの店にいたのかもしれませんが」
「え、あのオバサンたちオレらと何も関係なくないすか」
「ふふ、西日暮里さん、一部の女性にとっては、若い男性を近くで眺められるというだけで眼福なのでは」
「ゲー、オバサンにモテても嬉しくねえっつうの」
「それより仕事です、私はこれから落し物の財布を少年のお宅に届けに行ってきます。西日暮里さん、もしかして顔が割れてますか」
 品川が手にした財布から取り出した学生証の写真を見て西日暮里は顔をしかめる。「あ、こいつ病院連れてってやりました」
「それなら私だけで行きましょう、今日はこのまま直帰してもいいと思いますよ」
 クリスマスイブを連呼していた割に、西日暮里は帰ろうとせず品川の横を歩き続けた。
「オレ、品川さんが見てんのがどんな景色か知らねえっすけど、何かもうちょっとオレにもできることないっすか」
「急にどうしました、さっきまでは仕事が嫌だと言っていたのに」
「いや何つうか、さっきの議員もそうすけど、セクハラジジイとかパワハラ上司とか、ムカつくヤツがいい思いしてる世の中とかクソじゃないすか。今までムカついてどうしようもねえヤツは力で黙らせるしかねえとか思ってブタ箱寸前までいきましたけど、でもおかげで今の会社に拾ってもらえて、たぶん今はムカつくヤツらを悔しがらせてやる手伝いができてんじゃねえかなって思ってるんで。まじで前の職場にいたら上司殴り殺してたろうし」
「往来であまりそういう言葉を連呼するのは控えた方がよろしいかと」
「え? 結果オーライで今の仕事楽しいっつう話っすよ」

 ヒトシが学校を休むようになり金づるを失ったリーダー格の男子生徒は、スワロフスキーのスマホケースを彼女にねだられ親の金を盗み出すに至った。よりによって父が賄賂金の受け渡しに使用していた銀行口座からだ。彼女へのプレゼントと一緒に、男子生徒は父が様々な団体から金を受け取っていることを仲間たちに高らかに自慢し、張り込みをしていた週刊誌の記者に格好のネタを与えてしまった。年末の収賄疑惑のニュースは、子どもが引き出してしまえるほど杜撰な管理をしていた滑稽さも手伝って、ワイドショーで連日話題に上った。
 モザイクがかけられた同級生のインタビューがテレビに映し出されている。議員の収賄疑惑と一緒に、学校のいじめ問題も取り上げられそうだ。年明けは、少しは安心して学校へ通えるだろうか。
 安心していいはずなのに、ヒトシの胸の内のわだかまりは消えなかった。あいつと同じように、僕は母さんの金を盗んでいた。父さんも母さんも当てにしないで、ひとりで勝手に傷を抱え込んで結局迷惑をかけてしまった。恐怖に敗けて、自分の弱さを言い訳に被害者面をし続けてきた。
 手にした宝くじで母のタンス預金は返せそうだが、金の収支が合えばいいというものではないとヒトシにはわかっていた。自分すら欺いてきたこの1年の情けない姿を返上するために、本当の事を正直に話そうとヒトシはリビングの両親の元へ向かって行った。