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泥臭くて、忘れられなくて/百年文庫『畳』

百年文庫第3巻、『畳』の感想です。 

(003)畳 (百年文庫)

(003)畳 (百年文庫)

 

収録作品

林芙美子「馬乃文章」

獅子文六「ある結婚式」

山川方夫「軍国歌謡集」

忘れられない、幻影への渇望

タイトルの漢字を見た時「畳の上で死ねると思うな」なんて物騒な連想をしてしまいました。漂うのはい草のさわやかな香りではなく、ささくれていろんなものがしみ込んだ、昔の日本の生活臭です。

「幻影は幻影だ。もちろんです。しかしですね、そういって整理をして、人間からその幻影を取っちゃったら、いったいなにが残りますか? 人間は、しんまで物質のつまった石ころと同じになっちゃうじゃあないですか。そんなことでいいわけはない。人間が石ころと同じだなんてのはウソだ。人間はね、幻影をつくりだす能力と、それを信じる勇気があるからこそ、人間なんです。石ころは石ころだ。人間は、自分が一箇の石ころであるのを、その現実を、つねに拒否しつづけなくちゃ、いけないんだ。……」

山川方夫「軍国歌謡集」

アパートの前の通りから毎晩のように聞こえてくる女の歌声に救いを感じ、愛情を抱くようになる「大チャン」を冷徹に見守り騙し続ける「私」。大チャンは毎日、女がその日に歌う歌を予言し、自分の心の耳でその歌を聞いたと語りますが、そんなものは幻影にすぎないと私は言います。そこで「人間の内面は、つねに幻影」だと大チャンは言い放つのです。

男ふたりの下宿で夜中に交わされる愛についてのやりとりは、お互いに歩み寄ることもなく各々の持論のぶつかり合いに終始します。暑苦しく澱んだ空気が漂い、嘘と疑いと思い込みに覆われた出口のない会話は畳の上で交わされるにふさわしいようにも思いました。しかし嘘や思い込みはいつまでも続くものではなく、事実が暴かれると共に下宿の共同生活は終わりを迎えます。

大チャンの愛は幻影だと言った私が、長い年月を経て「『愛』を信じるための行為を全力でこころみようと」するところで物語は終わります。幻影を信じ取り込む力を得られないまま苦しみながらも、繰り返し敗北しながら愛を手にしようとする「私」は、下宿で鬱屈していた己を乗り越えるように前進していきます。通りで歌っていた女にも、大チャンにももう逢わないけれど、今の自分を形成する忘れることのできない経験に他ならないのでしょう。そんな経験が、自分にはどれくらいあるだろうかと思いを馳せる一端にもなりました。

この作品は1975年に「落下傘の青春」と題してNHKでドラマ化されたそうです。

NHKテレビドラマカタログ―ドラマ番組放送記録+カテゴリー小史 1953〜2011

未体験の泥臭さ 

林芙美子の「馬乃文章」では家賃すら払えなくなり一家で友人のアパートに身を寄せるほどの貧乏作家が描かれ、獅子文六の「ある結婚式」では自宅の日本間で結婚式を取り仕切る様が語られますが、「軍国歌謡集」も含め、私にとっては全く想像のつかない世界です。

馬肉が安く一般に流通しているとは思っていなかったし、人様の家で誓約結婚式なんて一体誰にどう頼んだらそんなことになるんだと不思議でなりませんでした。「畳」というタイトルからして、掃き清めてお茶やお花を楽しむような場所ではなく、人が踏みならした生活の一部としての空間を描いた作品を集めているのかと思いながら読み進めていたのですが、各巻詳細としてこんな文章がありました。

「畳」という一風変わったタイトル、でもしみじみとした懐かしさ、人が素足になって過ごす時間を感じていただける作品です。 

各巻詳細|百年文庫|ポプラ社

現在の住まいはフローリングですし、実家も畳の間はあるとはいえ上にカーペットを敷いて過ごしていました。それでも、実際の体験とは全く関係なく懐かしさを感じることができる不思議さがあります。懐かしい、と思うのは今ここにいる自分と対象の時間的な隔たりを感じているからですが、それは日本人としてのDNAなんて話ではなく、決して体験することのできない過去に対する憧れのようだと思いました。

泥臭い生活、昔の思い出、そんな遠くにあるはずのものを手の中に収めた1冊でした。