エストラゴン・オウ・ヴィネーグルを食べる/中井英夫「美味追真」

エストラゴン・オウ・ヴィネーグル。

中井英夫『とらんぷ譚』のハートに当たる章、『人外境通信』の「美味追真」に書かれるそれは、新宿の高野の地下食品売場という九州島民にはまるで縁のない東京の風景であり、想像するほかない戦中・戦後を生きた人々の姿を見せつける装置でした。

 エストラゴン・オウ・ヴィネーグル。

 よもぎの、酢漬け。

 フランス料理といっても、家庭ではまずめったに用いられないこの名を、できればあまり多くの人が知らないといいが。

-『中井英夫全集3 とらんぷ譚』より「美味追真」(p434,中井英夫/東京創元社)

きっとおフランスに行かない限りお目にかかることもないのだろうなあと、読み返してはなけなしの想像力で味わってみようとしていたのですが、少し足を伸ばした先の輸入食材店に本物が置いてありました。心の中では「ああ、やっとあった。ずいぶん探し廻ったんですよ」と喜ぶ少年です(作中では少年ふたりが一緒に探してたんですが、私はひとりで喜んでおりました)。

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エストラゴンはフランス語で、英語ではタラゴンと呼ばれるよもぎの一種です。よもぎ餅の、あのよもぎとは近縁種とのことで、タルタルソースにしたり鶏肉・魚介料理に使われたりするそうです。薬草として使われていたのは日本と同じなんですね。

タラゴン - Wikipedia

おすすめされてるとおり鶏肉といただこうと思いつつも、まずはエストラゴン・オウ・ヴィネーグルそのままを食べてみたんですが……作中の「私」は壜から中身をちょっとつまんで「仄かに甘酸っぱい味を賞味」したとあるんですけど、仄かどころか強烈に鼻に抜ける酸っぱさにひとりで顔芸やってしまいました。ひとり暮らしでよかった。

「ご使用前は洗浄してお使いください」と壜に書いてある通り、洗って軽く絞って食べたんですが、洗い方が足りなかったのか、酢の浸み込みようが半端ないのか、とにかく酢が強烈でなかなかよもぎの味にたどり着かないんですね。そしてよもぎにたどり着いたと思ったら、独特の青臭さがまた鼻に抜ける感じで何ともいえない。あんこの入ってないよもぎ餅に大量の酢をかけたらこんなになるのかしらん。見た目はちょっとくすんだおひたしみたいだし、本には甘酸っぱいって書いてるしでナメてかかってました。

どうやらそのまま食べるものではないようで、卵とマヨネーズと一緒に和えて、蒸した鶏むね肉にかけたらさっぱりと美味しくいただけました。やはり酸味が強い感じがあったので、もも肉の方がもっと美味しく食べられるんじゃないでしょうか。卵との相性も良いみたいで重くなり過ぎないソースとして味わえます。

実際Amazonにも出品されているくらいですし(さっき知った)、国内はともかく海外に行けばもう少しお目にかかれる食べ物なのかもしれません。でも私にとって、エストラゴン・オウ・ヴィネーグルは想像する以外に味わう術のない謎に包まれた食べ物のひとつでした。それが、いざ本の中のアイテムを手の内に収めると、わりとあっけなくて拍子抜けすると同時に、物語の世界が自分と地続きにあると確認できたのでした。

食べることもままならなかった時代。闇市を駆け抜け、どうにかやりくりし、ぼろぼろになりながらも、中井英夫の書く戦後はどこか危機感の薄い、生活にあふれた世界です。飢えが日常だった頃からは考えられないほど食べ物が溢れかえる世の中に様変わりする時代を見ながら、「私」はまだ戦後に囚われています。読み返すたびに、私は自分が生まれてもいなかった「戦後」という中井英夫の書く過去を体験し、読み終えては未だに戦後と呼ばれる現在と本の中の「戦後」をつなげようとしました。

さすがに「私」が薦めようとしていた「アミルスタンの羊」で味わうわけにはいきますまいが、もう少し壜に残っているエストラゴン・オウ・ヴィネーグルをもう少し美味しく食べるために、肉と魚を用意しておこうと思います。

新装版 とらんぷ譚3 人外境通信 (講談社文庫)

新装版 とらんぷ譚3 人外境通信 (講談社文庫)

 

東京創元社の『とらんぷ譚』で読んでるんですが、全4部52編+ジョーカー2編で700ページくらいあるので、分冊されてる講談社文庫の方が持ち運びしやすいですね……。

特別展 京都 高山寺と明恵上人 - 特別公開 鳥獣戯画 -に行ってきました

九州国立博物館での特別展「京都 高山寺と明恵上人-特別公開 鳥獣戯画」10月の前期展示を観てきました。

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鳥獣人物戯画が展示の目玉で大々的に宣伝されてますが、主役は明恵上人。鳥獣人物戯画が収められている、京都の高山寺を開いたお坊さんです。冒頭の鳥獣人物戯画の後、明恵上人の生涯と高山寺について書や絵、像が展示されています。

chojugigakyushu.jp

鳥獣人物戯画はかわいいし細かいし特に甲巻の筆運びが丁寧で綺麗だったんですけど、明恵が結構キャラの立ったひとで、正直国宝よりインパクト大でした。自分で耳を切ったり、インドまで歩いて何日かかるか真面目に書き残してたり、唐美人ええなぁと絵巻物を作らせたりと、いろいろなエピソードを紹介した「レジェンド・オブ・明恵」という愉快な冊子が配布されています(公式サイトからもDL可)。

九州国立博物館 | 特別展『京都 高山寺と明恵上人 - 特別公開 鳥獣戯画 - 』

鳥獣人物戯画に限らず、展示品のほとんどが国宝や重要文化財でしたが、明恵の夢日記とか、勝手に作った神様の像とか、あまり身構えることもなく楽しく観られます。「主役は私です」とチラシでさりげなく主張する通り「いろんな品を収めてる高山寺の祖・明恵ってこんな人」な展示でした。

 

明恵は自ら宗派を開いたひとではないですが、奈良時代に成立したとされる華厳宗に密教をプラスした独自の宗教観を持っていたそうで、釈迦宛てに手紙を書いたり、涅槃会の時は自作テキスト作ったり、拾った石を釈迦と思って大事にしたり、仏が好き!感がものすごいです。

華厳宗を新羅に広めた義湘の留学エピソードに現れる善妙という女性がお気に入りで華厳宗祖師絵伝を作らせているんですが、展示されていた2巻と3巻では義湘が善妙に告白されるも仏門の身なので断った後、船に乗ったら忘れ物を届けるために善妙が龍に変化して追っかけて来てくれたという、女性がとっても優しい道成寺伝説のような絵巻物でした(後期展示では義湘ではなく元暁という僧の話らしいです)。善妙が本当に好きだったらしく「明恵オリジナルの神です」と説明書きされている善妙神立像までありました。勝手に神格化して祀っていたんだと思うんですけど、こんなことしていいの……?

見ているうちに、二次創作に創作キャラ登場させて活躍させる夢女子とか、推しキャラの誕生日やイベントにクルーズ予約しちゃう腐女子に通ずるものがあることよなあという気になってきました(明恵上人は女子じゃないですけど)。友だちにいたら楽しいけど、時々ちょっとひくわ……と生温かい目で遠くから見つめることになりそうです。

あといろんな仏が載ってる曼荼羅図が結構あったんですけど、円形状に絵柄が配置されていなくて、ポケモン151匹載ってるポスターみたいに縦横に整列した、カタログのような曼荼羅ばかりでした。当時としては珍しい柄だったそうです。

書はともかく、絵巻物や曼荼羅のような絵は本人が描くのではなく絵師に依頼しているわけですが、お坊さんの好みやら謎の企画にあわせていろんな絵図をひねり出した絵描きのひとは本当にすごいと思います。明恵の依頼を受けて絵を描いていたとされる詫間俊賀という絵師についても少しだけ説明がありましたが「仏画ならオレにまかせろ!」とどんな注文も快く引き受けていたのか、「明恵さんまた、ようわからん絵の依頼してきよった……」みたいな感じだったのか……。

 

自由で熱心で仏好きすぎる明恵ですが、相当孤独だったのではないかという印象もありました。弟子はいるし、最期を迎える前には多くの人が明恵の死を案じさせるような夢をみたというエピソードからは彼の人望の厚さが窺えます。ただ、寄る辺ない思いで過ごしていたからこそ幅広い信仰を持っていたのではないかと。

明恵が生きたのは浄土宗や日蓮宗といったテストに出そうな宗派が開かれた時代で、宗派を超えてお坊さん同士の交流もあったそうです。臨済宗や曹洞宗のような禅宗もこの頃中国から伝わってきていて、お茶を輸入してきた臨済宗の栄西から明恵に贈られた茶入が展示されていました。

そんな時代でも、中央の派閥争いを避けて地元で修行に打ち込みたいと若い時は京都を離れていたそうで、他の僧との交流はあったとはいえ、動物だけでなく石や島にも思いを寄せたなんて話を聞くと、少しでも仏の傍に行きたいと考え通しだったんだろうなという気もします。

これくらい自分の追い求めるものに真摯に向かって行く生き方って、ある種の寂しさはあるかもしれませんが、すごく自由で気持ちよさそうです。

 

余談ですが、西鉄電車を利用したらステキな太宰府観光列車「旅人(たびと)」に乗れました。車両ごとに内装が違っていて、観光列車らしくスタンプも用意されています。縁結びで有名な竈門神社とのタイアップ企画で車内に願いごとを書く紙もあり、太宰府に着いたら直接竈門神社に持って行ってもいいし、車内の祈願箱に入れれば西鉄電車が代わりに神社へ奉納してくれるそうです。

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西鉄電車で行く場合、西鉄の九州国立博物館きっぷが少しだけお得です。太宰府天満宮の宝物殿や菅公歴史館にの割引券なんかもついてます。渋滞もないし、西鉄大宰府駅からすぐに参道に出られて、天満宮にも博物館にも行きやすいです。

www.ensen24.jp

西鉄の回し者ではないんですけど、太宰府というか太宰府天満宮が好きなので……。
時期によっては受験生と海外からの観光者だらけになりますが、緑いっぱいで梅が枝餅食べながらのんびり過ごせる、気持ちのいいところです。

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外面とお蕎麦

お昼ごはんにお茶屋さんでざる蕎麦セットを注文した。

この季節にざる蕎麦もどうかと少し思ったけれど、食べたいものを食べようと思ったのだ。

ちょうどお客さんが誰もおらず、豪快に蕎麦を啜ってやろうと目論んでいた。普段あまり蕎麦を食べないから久々のご馳走でもある。温かい緑茶に茶葉のおひたしが付いていて、いよいよ蕎麦をと手繰るも、ちっとも啜れない。

外だから遠慮したわけではなく、啜り方がわからなくなっていた。お茶屋さんの静寂を破らずよかったと思う反面、いろんな我慢が積み重なってなくしものをした気になった。

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最近ブログを書くのが怖いと思って、画面を開いても何も書けずにいた。

集中力が続かず文章を組み立てられないのもそうだが、面白くもないことをブログに書いてどうすると思うと全く動けなくなってしまう。今まで書いてた記事は面白かったのかと言うと素直に首を縦にはふれないが、自分に対するダメ出しや禁止事項が強くなりすぎて自由にできなかった。

別段気にするほどでもないことまで過剰に精査して、人目に触れた時評価されるかどうかを基準に物事を考えてしまっている。

 

会社を辞めて、医師から休養を勧められ、私自身も勤労意欲がなくて毎日ぼんやりと過ごすことが増えた。早く再就職して収入を得なければとか、せっかく休みなのだから有意義に過ごそうとか考えていた時期もあったが、服薬して落ち着いてきた程度だしダメでもいいじゃないかと最近は思えていたはずだった。それでもまだ根深く自分の行動を監視して制御する考えが強い。

職場にいた約5年間、役割が固まっていくにつれ外面を気にするようになっていた。常に求められている役割をこなし、自分なりに理想的な形で職務を全うしようとしていたのだけれど、そこにある枠組みは頑強で、自由で素直な考えは嵌め込めなかった。

そんな頑強な枠組みを作ったのは他でもない自分なのに、誰かに強要された風を装って余計にがんじがらめになり心身の健康を保てなくなっていった。

外面のために清く正しくお行儀のいいひとになろうとして、音を立てて食事なんてとんでもないとお蕎麦を啜ることさえできなくなってしまった気がする。そういえば年越し蕎麦も啜ってなかったように思う。

 

最近やっと、ちょっとゆっくりできるとか、今は自由なんだなとか思う時がある。今まで禁じてきた外食をするようになったし、芝居や映画に行きたいと意欲が湧いてきている。

未だに外面が気になって行動に移せないことはたくさんあるけれど、先日ハンナ・アーレントを読んで、少しずつでも人前に姿を見せたいと思うようになった。

他者を彼自身の存在に関するこうした明確な自覚へともたらすこと、つまり、他者を「神のもとへもたらすこと」こそ、キリスト信徒が自分自身の過去の罪に基づいて引き受けるに至った隣人に対する責務である。

[……]したがって孤独への逃避は、他者から回心の可能性を奪ってしまうが故に、罪に他ならない。

-『アウグスティヌスの愛の概念』p159(ハンナ・アーレント、千葉眞訳/みすず書房)

キリスト教に関する引用ではあるが、ひきこもっている限り届くはずの言葉や気持ちは届かず、結果的に誰かの可能性を奪うことにつながるのは宗教に限った話ではないと思う。誰かの可能性になんてなれるわけないだろと一蹴するのは簡単だが、大科学実験みたいに、やってみなくちゃわからないのだ。

まずは私を救ってくれよと思うけれど、それにしたって孤独へ逃げている限り他者からの救いの手は受け取れない。 

ひきこもってないでブログでもTwitterでもやってたら誰かが拾ってくれるかもよ、くらいに捉えて、ぼちぼち外に出てみていいんじゃないかと思っている。

 

きっとこれからも外面を気にして無駄にお行儀良くしたり動かなくなったりすることもあるけれど、今までのような窮屈な枠組みはもう作るまい。

お蕎麦を啜る練習をしなければと思う。

アウグスティヌスの愛の概念 (始まりの本)

アウグスティヌスの愛の概念 (始まりの本)

 

 

25日のよもぎ梅が枝餅/太宰府天満宮へ行ってきました

九州国立博物館で開催中の特別展「京都 高山寺と明恵上人-特別公開 鳥獣戯画」に行ってきました。

www.kyuhaku.jp

ただ今回は博物館のみが目的ではなくて、毎月25日の大宰府天満宮周辺のイベントの真偽を確かめに行ったのであります。

太宰府天満宮に至るまでの参道やその周辺には梅が枝餅のお店が軒を連ねていますが、毎月25日限定でよもぎ餅が登場するという記事がありました。

fanfunfukuoka.com

菅原道真公こと天神さまは誕生日が6月25日、死没日が2月25日(いずれも旧暦)ということで、毎月25日は天神さまの日とされています。でも太宰府天満宮は何回か来ているけどそんなの知らなかった……情報が古いとか季節限定とかじゃないよね?この目で見ないと信じない(ていうか食べたい)と、むしろ博物館の方がおまけくらいの気持ちで揚々と西鉄電車を乗り継いでやって参りました。

そしたらもう、上記の記事通り西鉄大宰府駅を出てすぐの梅が枝餅のお店に「毎月25日発売 よもぎ入り梅が枝餅」の緑の張り紙が……! 参道には10軒以上の梅が枝餅のお店がありますが、表記に若干の差異はあっても目につく限り全店よもぎ餅の張り紙をしてました。

餅を買う時も普通のとよもぎのと選べるようになっています。値段は同じで、複数個購入する場合は組み合わせも自由。常に店先で白の梅が枝餅と緑の梅が枝餅が焼かれていました。

 

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伝説でも幻でもない、よもぎ梅が枝餅は本当にあったんだ

見えづらいですが、ちゃんと梅の印が押してあります。

 

いくつも買ってお土産にするのもいいですが、やっぱりできたてを食べながらとろとろ参道を歩き回るのが美味しくて楽しい食べ方に思います。梅が枝餅には全体的に軟らかなお餅タイプと皮をしっかり焼いたパリパリしたタイプがあって、お店によって食感が違うんですが、これはその場で食べないとわからないです。持って帰って冷凍したのをレンジやオーブンで温めなおしても美味しいですが、作ったばかりの梅が枝餅とはやはり違います(油で揚げるという方法もあるそうです……)。お店によって焼き加減や皮の厚みなんかも違うので、食べ比べして回るのも楽しいです。

 

余談ですが海産物店の十二堂えとやも天神さまの日としてセールやってました。「ださいふー、えとやのー、うーめのみひじき♪」ってちびっ子がつたない感じで歌っている梅の実ひじきのCMがあるんですけど福岡県内だけですかね……。甘じょっぱくて食べごたえもあってご飯が進みます。 

梅の実ひじき

梅の実ひじき

 

 

それにしても天神さまの日だったからなのか、単にタイミングの問題なのか、受験生の集団と自撮り棒を掲げた海外の観光客が途切れることなく押し寄せてきて、あまり落ち着いてお参りできませんでした……。恋人と渡ると別れるといういわくつきの橋*1もひとが多すぎて渡りづらく、脇道から天満宮にお邪魔したくらいです。土休日よりは空いてるかなと思っていましたが、受験、七五三、年末年始とこれから大宰府は賑わう季節になりそうですね。

 

九州国立博物館の特別展の感想はまた別に書こうと思います。 

どうしても鳥獣戯画が目立った宣伝の仕方になってますが、明恵上人というひとを追っていく、ちょっと笑えてあたたかい気持ちになれる展示でした。

*1:本当は仏教思想でいう過去・現在・未来をあらわしたもので、橋を渡ることで三世の邪念を祓う意味があるようです

どうしてだかさびしい。さびしいのだ。

ここ2週間ほど、さびしくてたまらない。自分でも不思議なのだが「さびしい、さびしい」と腹の中から急に何ものかが湧きあがってきて敵わないのだ。ひとりで家にいる時などぬおおと口から洩れることがある。「ぎゃふんと言わせてやる」といいながら実際ぎゃふんなどと言う者はおるまいよと思うのと同じように、ぬおおとかうぎゃあとか活字で表す唸り声をそのまんま口にすることはなかろうと思っていたのに、ここのところ「さびしい」と腹が渦巻いている時言葉にならずウワァーッと叫びそうなのである。買い物したり散歩したりしている最中にも突然そういうふうになるので閉口する。

さびしさを感じることがこれまであまりなかったのもあって、慣れない感覚にびっくりして混乱しつつ「さびしさに襲われる自分」を客観的に見ている自分もいる。いっそのことうぉんうぉん泣き叫んでスッキリできるようなものならいいのだがそうもいかないようで、それだけで涙が出てくるわけでもなく、ただ締め付けられるような体の苦しみだったり地面がカピカピに乾燥してひび割れてるような土地に突然放り出されたような寄る辺なさだったりが突然やってくる。

 

Googleで「さびしい」「淋しい」で検索すると言葉の意味や使い分けに関するページが上の方に表示されるが、「寂しい」で検索すると急にさびしい時の対処法だのひとり暮らしはさびしい、恋人がいてもさびしいなどという情報が出てくる。検索結果の件数も桁が違って、「さびしい」だと約 2,430,000 件、「淋しい」だと約 3,620,000 件、「寂しい」は約 30,900,000 件であった。

30万を超える検索結果の中には実用的なさびしさへの対処法もあれば私のようにさびしい、さびしいといっているだけというのもあるだろうが、とりあえず膨大な情報を取捨選択する気力もないのでさびしさを打ち消そうと救いを求めるのは諦めた。

さびし‐い
【寂しい・淋しい】
 
  1. 《形》
    活気を失い、満ち足りない。
    • 親しい人が居ないなどで、心が満たされず物悲しい。「母に死なれて―」。ほしいものが得られず、物足りない。
       「タバコが切れて口が―」
    • (ひっそりとして)心細く感じられるほどの状態だ。にぎやかでない。
       「―裏町」

検索された意味の通り、今の私には活力がなく満ち足りていないのだ。

退職し、職場から離れて2か月近く経つので、仕事を失って拠りどころをなくした不安からきているのでは思っていたが、その割に職場のことはもうほとんど思い出さないし正直勤労意欲があまりない。働いている時は多少無茶な要求をされてもそれをこなすのが自分の価値を高めることだと信じていたし、それによって人に頼られることで安心して居場所を得られている感覚があった。

ほぼ日刊イトイ新聞に「いつもさみしい問題。」という記事があって、私は「いつもさみしい」わけではないのだが、「『さみしい』時に素直に人に頼ることができない」「誰か頼ってくれる人がいなければ駄目」という意見に激しく同意した。

「『いつもさみしい』は、人に頼らず、
 ひとりが好きなほど、感じやすい。」

こういう心理が生まれる背景に、
「自立」を尊ぶ風潮が
あるように思われるのです。
……そうなると、
つねに自分に「自立」を強いることになり、
それが、孤立を求める生き方につながって、
自分で自分を苦しめることになっちまいます。

https://www.1101.com/samishii/2004-08-26.html

自立と孤立は別物だが「何物にも頼らないこと=自立」と思い込むと孤立への道を深めてしまう。でも誰かに頼らないようにするから、客観的な目線がなくて自分が孤立していっているのにも気づきにくい。働いていたり家庭があったりすれば社会的にはしっかり自立して生きているように感じられるから、自立と孤立が曖昧になっているひともいるのではなかろうか。というか私がそうではないか。

あまりにもさびしいので友人に連絡を取ってみようとした時もあったが、さびしさを理由に人に頼るなど自立していない証であり、相手の迷惑でしかないからいかんと思ったのだ。相手をさびしさの捌け口にするのはよくないが、苦しい時こそ信頼できる友人を頼っていいのではないかと思うのだが、己が自立していることを前提に考えると人を頼ること自体が「何物にも頼らないこと=自立」という図式を壊してしまうので行動できない。

まあそれ以前に、今の私ではさびしさを言語化できず家でぬおおと唸っているだけの状態なので誰ともまともに話せず、無理に連絡などしてもコミュニケーションが取れないだろう。よく悩んだ時、苦しい時など、人と話すと楽になると言うが自分がある程度冷静に話せる状態でなければ相手を困らせるのはもちろん、自分も理解を得られず余計につらくなる可能性が高いから、やみくもに人に話さなくともよい。  

 

それにしたって湧き上がるさびしさが止まるところを知らないので、気になっていた本を読んだ。 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

読んでいて思ったのが、親との関係を自分の中で清算しないと自己認識や行動、対人関係で同じ苦しみを味わい続けるだろうということと、いくらさびしくても私は風俗にはいかないだろうということだった。 

web連載の『一人交換日記』でも特に描かれているが、行動や判断の基準が親に依存していると抑圧とかさびしさとか自尊感情の低下とか、とにかく自分の人生が窮屈極まりないものになるのだ。親との関係を改善できればよいが「話せばわかる」なんて対応がまかり通るのは稀なことで、親がどうなろうが子どもである自分が区切りをつけるしかない。

comic.pixiv.net

作者がレズビアン風俗に行くのも親からの抑圧から抜け出すための通過儀礼のようにみえたが、しかし初対面のきれいなおねえさんに自分の身を任せるとはものすごいことではないかと思った。「19歳の頃、レジの中からもう誰でもいい、2秒でも1秒でもいいから抱きしめてほしいと思っていた」(p49)というくだりを読んで、「抱きしめてほしい」欲求はよくわかるのだが「誰でもいい」とまでは思わなかったのだ。私はいくらさびしくても得体のしれないひとに己の身を任せることはできない、というか非常に強い恐怖につながる。

読み始めた時は、作者と同世代で考え方にも近いものを感じていたこともあり「ああ、よくわかる」と思っていたのだが、徐々に妙なズレを感ずるようになっていた。なんというか、作者は人に対して無防備というか人を信じているひとなんだろうなという気がした。就職活動中でもマンガを描くのを頑張りたいと面接官に言えてしまうし、誰でもいいから抱きしめてほしいと見知らぬ人を見つめながら思えるし、恋愛したことなくとも風俗に行って体を預けてしまう。

どちらかというと私はひとを恐怖の対象としてみてしまうことの方が多く「誰からも拒絶される」ことを前提に行動しているので、作者が「どこに行っても誰かに受け入れてもらえる幸せなひと」に見えてしまった。実際そういうわけではないのだろうが、私自身がいかにひとを避け、自立ではなく孤立の道をひた走っているかまざまざと見せつけられたように思う。

 

親子関係については思うところあって『毒になる親 一生苦しむ子供』(スーザン・フォワード/講談社+α文庫)を読んでいるのだが、読み進めるのが苦しい。私は子どもの頃身体的な虐待を受けたり、突然親がいなくなってしまったりするようなことはなかったが、親との関係がうまく築けなかったのは確かだ。本書には親に対する考え方についてチェックリストが載っているが、読み進めるごとに今のさびしさの出どころを抉られるような感覚をおぼえる。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

ずっと腹で渦巻いている感情を何とかしたくて、どこかの掲示板とかはてな匿名ダイアリーとか何でもいいから吐き出してしまおうかと思っていたのだが、吐き出そうにも言葉にすることすらできない状態が続いていた。こういう感情的なことを書くのは相応しくないとどこかで制限をつけていたが、自由に発言するのが憚られるという意識がさらに己を苦しめることになる気がしたので書いた。

眠れないので寝るのを諦めたら眠りやすくなった

数か月にわたり寝ても熟睡感がなく、できるだけPCやスマホの画面を長時間見ない・朝は決まった時間に起きるといったことを続けていましたが、目覚めた時の疲労感がひどい状態が続いています。夜中や朝方に目覚めることがあってもトータルで7~8時間は眠っているはずなのに、全然寝た気がしないのです。

医師から処方された睡眠導入剤では眠ることはできても、翌日まで効果が残ってしまい日中ぼんやりしてしまったり、疲労感は結局残ったままだったりで思うようにいきません。

 

起きていても気持ちよく動けず眠っても疲れは取れないので、いっそいつまで眠らずにいられるか試してみようと、医師の言いつけを守らず規則正しい生活を放棄してみたところ、逆に自然と眠気が差すようになってきました。

夜更かししても朝決まった時間に目覚めるのは変わらないので睡眠時間は3~4時間、日中に眠気が差した時は、タイマーをかけて10分くらい目を閉じて座っているだけで結構すっきりしました。それで夜に眠たくなるわけではなかったので結局また夜更かしするのですが、同じように過ごしていたら徐々に日付が変わる前から自然と眠気が来るようになってきています。 

夜更かしして何をするかというと、日付が変わっても寝床にも行かず、コーヒーを飲みPCの画面を見続けたり音量をあげてイヤフォンで音楽を聴いたりと、規則正しく生活するために今まで禁止していたことをやり始めたわけです。

早寝早起きして食事は3食摂って家事をきちんとこなしてきちんと暮らそう、はやく健康になろうなどと、つらかった職場から解放されてもなお、自分自身の「ねばならない」に縛られて本当に望んでいる1日を過ごせていなかったように思います。

行為自体は不健康極まりないのかもしれませんが、健康って結局は体だけでなく心にも通じていて、必ずしも規則正しい生活=健康な生活とはいえないのでしょうね。

 

眠れない夜はチェコアニメ「アマールカ」のDVDがいい入眠剤になってくれる時があるので時々眺めていますが、子羊が葉っぱを食べてサイケデリックなことになる「子羊を助けた日」なんてむしろ目が冴えてしまいそうです。 

アマールカ ブック〜おやすみ編〜(DVD付)

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アマールカがまた結構ふてぶてしい女子で夜中に笑いながらやさぐれそうになります。 

 

ただ、睡眠時間が短いと太るという説が大変怖ろしいです……。早く健康になりたい。

suimin-shougai.net

プラネタリウムへ行った時のこと

先日15年ぶりくらいにプラネタリウムへ行った。

児童向けの科学館と併設になっていて、最後に訪れた時と建物の様相も展示物も変わりなかった。有志の方が撮影した天体写真が最近のものになっているくらいで、宇宙開発に関する年表は1992年くらいから更新されていないし、パソコンコーナーは灰色の箱型のモニターが現役で活躍している。惑星の説明のところでは冥王星のイラストが描いてある部分に、平成18年8月24日に冥王星は惑星から除外されたと黄色いテプラが張ってあった。夏休みのはずだが子どもの姿は少なく、展示物がみんな埃をかぶってしまいそうであった。

 

プラネタリウムが開場するとどこからか家族連れがぞろぞろやってきて、半分くらい座席が埋まった。ひとりで来ている暇そうな客は私ひとりであった。

投影が始まると、係員のお姉さんが画面の方角や当日の日の入りから説明してくれる。ペルセウス流星群のピークを迎えようとしていた時期だったので、流星群の観測について話が聞けるかと思っていたが、火星と土星とアンタレスが接近して三角形をとっている方の説明に3割くらい取られたように思う。夏の大三角形についても星座というよりほとんど1等星についての説明だったし、毎回説明されていた(と記憶している)北極星の見つけ方については全く出てこなかった。火星とアンタレスの接近が一番のニュースだったからそこに注力された結果だと思う。

2016年8月 火星とアンタレスが大接近 - アストロアーツ

前半20分で当日の星空の説明があって、後半25分くらいは宇宙に関する教育番組が投影された。天井のドームいっぱいに映し出されるので、映画よりも広い画面で立派な星空の映像を見られる。実際の空に比べたら所詮建物内のささやかなスクリーンに映し出されるにせものの星たちだが、空を見上げても残念ながら星なんて見えやしないのである。港があり、工場があり、山が連なっているこの地域はいろいろなものが星空を遮る。夜中でも街の灯りは消えないし、地平線も水平線も見えない。

満天の星空が見られたらそれは美しいだろうが、たとえにせものでも本当の星空を再現しようとするプラネタリウムの天井が好きだ。

 

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プラネタリウムの投影機を見るたびに蟻みたいだと思ってしまう。こんな大きなものがくるくる回りながら天井いっぱいに星空を映してくれるのだと思うと、なでさすってやりたいような気持ちになる。