20160824

5年近く勤めた会社を辞めた。有給休暇の都合でまだ籍は残っているが、自分を痛めつけてきた職場にもう行かなくていい安心感よりも、役立たずな己がついに露見して打ちのめされる感覚が日常を占めている。時々無性に寂しくなり、体に穴が空くような感覚に襲われる。

何らかの情報を受け取るのも発するのも怖く感じて、しばらくブログ更新どころか他のブログを読むのも憚られた。優しい言葉も厳しい意見も、うまく咀嚼できず自分を責める材料に変換して受け入れてしまう。手帳に日記をつけはしても、外側へ出ていくエネルギーはなかった。

 

とにかく不安感がひどく、瞑想だマインドフルネスだと本を読んでみたり内容を実践しようとしてみたりしたが「今ここ」にある自分なんてものに気づいた時こそ、自分だと信じていたものが消え去って私は壊れてしまうんじゃないかと強い恐怖に駆られ、余計落ち着かなくなってしまった。

職場での「かくあるべき姿」への執着が依然として残っていて、その姿を保てなくなったうえに職場自体から離れていったことから、自信を落伍者扱いしてしまっている。「かくあるべき姿」を失って、どこへ行けばいいのかわからないのだ。劣悪な職場からの脱出に成功して自由を手に入れたといってもいいのに、自分の中に拠りどころがなくて身動きが取れない。

 

せめて好きなことをしようとすると、時間があるのだからこの本を読まねばならないとか、1日1枚絵を描かなくてはいけないとか、自分で自分の楽しみを奪うような条件を付けてしまう。外出はできるのでなるべく歩くようにしているが、時間を惜しむように早足になる癖は抜けない。人ごみを通り抜けることにストレスを感じる。

そもそも通院していて薬を飲んでいる時点で健康体とはいえないのに、体は動くのだから活動しなくてはならぬと多少きつくても動き回り、動けなくなると甘えだと自分を責める。安静にしていたら、それはそれでだらけている状況を延々と責め続け、どうなるかわからない未来の心配をしてしまう。

 

少しずつ考え方を変えていこうとしているが、遡っていくと親にぶち当たってしまい閉口する。今までは職場や個人の能力の問題だと思っていたことが、大元をたどると親との関係によるものではないかと最近やっと気がついた。もう少し考えがまとまったら何らかの形に残しておこうと思う。

 

当面の目標は自分で自分の面倒を見ることだ。生活という意味だけでなく、衣類をととのえるとか、化粧をするとか、身体そのものに対するケアというか面倒見がすごくよくない。

今まで、自分を犠牲にすることで誰かの役に立っている意識がとても強かった。見た目ヨレヨレで仕事がんばってるんだから許してほしい、認めてほしいと思っていた。誰かにいいよと言ってもらわないと、自分を認められないのだ。

他者目線に頼らずに自分で自分の面倒を見ていかないと、何度でも同じことを繰り返すだろう。きっと自分への優しさが足りていない。

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