心に秘めておくもの/百年文庫『憧』
以前から気になっていた「百年文庫」シリーズ(ポプラ社)を1巻から順番に読んでみようと思います。まずは第1巻、『憧』。
収録作品
太宰治「女生徒」
ラディゲ「ドニイズ」
久坂葉子「幾度目かの最後」
遠くにある素敵なもの
タイトルの漢字通り、今はまだここにないものや、手に入れたいけれど届かないものについての短編集でした。
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。わざと、どさんと大きい音たてて蒲団にたおれる。ああ、いい気持だ。蒲団が冷いので、背中がほどよくひんやりして、ついうっとりなる。幸福は一夜おくれて来る。ぼんやり、そんな言葉を思い出す。幸福を待って待って、とうとう堪え切れずに家を飛び出してしまって、そのあくる日に、素晴らしい幸福の知らせが、捨てた家を訪れたが、もうおそかった。
太宰治「女生徒」
幸福とか愛とか言葉ではいくらでもいえますが、具体的にどうなりたいのかはわからない、ぼんやりとしたものが収録作品を通して常に背後にあると感じました。それぞれの登場人物は心惹かれるものを思い、行動し、悩み苦しみますが、手が届かないまま物語は終わってしまいます。
「憧れ」に近いもので「夢」もあると思ったのですが、夢は実現したいという目標が生まれることに対して、憧れは思い通りにならずとも心に秘めるに留まるもののようです。むしろ手に入らないからこそ憧れというのかもしれないと思わされます。
特に「幾度目かの最後」は、書き終えた後に作者が自殺してしまったという、遺書とも呼べる作品です。強く求めながらも手に入らないものに対する葛藤や執着が事細かに語られています。
「かっこいい憧れの先輩」なんて少女漫画のような明るく楽しいものではなく、迷いが生じたり、ふと悲しくなってしまったりと、甘苦い心の原動力に振り回される三様を読める一冊でした。
自分の本の好みがよくわかりました……
それにしても、「女生徒」はともかく、他2編はずいぶん奥歯に物が挟まったような恋愛だと感じてしまいました。ひっそりと動き回り悶々と考える主人公に寄り添うには、私の繊細さが大幅に不足しているようです。どうやら私は登場人物がぶつかり合って展開する物語に血沸き肉躍るらしいので、次巻「絆」に期待したいと思います。
百年文庫は2011年に100巻完結したシリーズですが、全巻のラインナップが本当に素敵です。週1冊ずつ読んでも全巻読破に2年くらいかかりますが、ゆっくり楽しんでいきたいと思います。