わたしの命はわたしのためにある

月曜日から風邪で頭が朦朧とし、熱はないとはいえ全身筋肉痛のようになり起き上がれなくなっていた。水曜日には調子を取り戻しつつあったが、今朝ハンガーから上着を取ろうとしたら何故か足を滑らせ家の中で盛大に転んだ。自分の体を支えきれず床で頭を打ったというのに、起き上がって最初に心配したのは転んだ時に当たった家具が壁を傷つけていないかどうかだった。

先日医師に体のこわばりを指摘されて以来、全身が凝り固まっていることにやっと意識が向くようになってきている。同じような姿勢で居続けるのが当然と思っていたので、体が凝っていること自体に気づいていなかった。

体を不自然な状態において、私はどうしたいのであろうか。

いくら仕事を頑張ったところで、体を壊しては働くことができなくなる。お金があっても遊びに行くこともできず、こうしてPCの前に座ることすら難しくなるかもしれない。活動し、食事をし、排泄し、眠るという当然のサイクルにのれなくなる体はとてもつらい。体の不調は心にも影響し、心の不調もまた体に影響する。

今までいろいろなもののために体を使ってきたが、いったいどれくらいのことが本当に体を使うに値することだったのだろう。無理や見栄や建前によって不要な負担を強いられた体をどれくらい労わってきたのだろう。わたしのためのわたしの体を、どれくらいわたしのために使ってこれただろう。わたし以外の何かのために、大切な体を蝕んできたのではなかろうかと、今更ながら思う。

たとえ他者に奉仕するために生きるとしても、わたし自身がいなければ他者もいないのである。わたしの体を、心を、命をわたし自身のために保っていきたいのだ。

 

満足に食事を摂り、風呂に入り、安心して眠れる寝床がある暮らしが当たり前でいいんだよと、片隅で眠れずに命を削っているわたしに声をかけたい。