1月、鏡開き、ご近所さん

 一緒にぜんざい食べようと休日に年上の独身女性のワンルームに招かれたらそりゃあいろいろ期待大と思って下心の方は準備万端で家に上がり込むと爽やか笑顔男子と腕組んだツーショットの写真立てが目に飛び込んできてだいぶ萎えた。

「米の代わりにちょうどいいって思って実家から餅いっぱいもらったのはいいけどさ、鏡餅は鏡開きの時に食べないとダメじゃない、こんなでかいのひとりじゃ食べきれなくってさ、あ、適当に座ってて」
 別に1日で食いきる必要はないだろうしそれを赤の他人の俺と食う道理もないぜおねーさんと言いたいんだが家に呼ばれたのは素直にうれしいんで黙っておく。同じアパートに住んでて出勤する時ちょっと挨拶したり近所のスーパーで出くわしたりするくらいの知りあい以上友だち以下みたいなポジションのはずだったのが一気に家に招かれる関係にレベルアップしたのはやっぱり期待していいんじゃないか俺。
 初めて入った同じアパートの別室は俺の部屋と同じ間取りなのに、脱ぎっぱなしの服やら飲みかけのペットボトルやらの代わりによくわからんローソクだの謎のボトルだのが棚に整列していて、だいぶ家賃高そうな雰囲気を醸している。朝からどんど焼きに行ってきたらしくて何となく部屋が煙くさい。

「いや、食わしてもらうんだから俺もなんか手伝います」
「そんじゃあ餅割ってもらってもいいかな、鏡餅って包丁で切ったらいけないらしいね、あ、『割る』も言ったらいけないんだっけ」
 実家からもらってきたという鏡餅はやたら分厚くて下の段は人の顔くらいある大きさで、正直手で割れる気がしない。とりあえずふたりでも1度には食えんだろう。葉っぱ敷いて上にみかん乗せて、俺の実家のスーパーで買ってきたやつよりだいぶ立派だ。女子力っぽいものが漂うワンルームに飾るにはかなり浮いた存在だと思うんだが、よっぽど正月的な演出が好きなのか餅が好きなのか。
「これさすがに素手でどうにかするの無理だと思うんで、何か叩く物とかないですか」
「じゃあこいつでお願いします、私はぜんざい温めてるから」
 どこからか取り出した麺棒を俺に渡しながら鍋とぜんざいのレトルトパウチを用意するこの人の横顔を見るたびに俺好みの顔だと思うんだが、一人暮らしで麺棒持ってるってことはやっぱり写真の爽やか野郎にクッキーとか手打ちパスタとか食わしてやってるんだろうか。そして今日俺がだいぶ期待してたようなことをそいつとこの部屋で致してんじゃないのとか思うと来るんじゃなかったと若干後悔した。

 餅はやたら硬くなっていて簡単には割れなかったが、人ん家であまり乱暴にするのも気が引けるし沸騰しかけてる鍋にまで振動が伝わりそうで、いまいち麺棒に力が入らない。何となく台所を見回すと調味料とかフライ返しとか並んでいてちゃんと料理する人の台所っぽいんだが、隅の方に小豆が入ったケースがあって鍋に投入されるのを待ってるぜんざいのレトルトパウチと見比べてしまう。
「小豆、ぜんざいに使わないんですね」
「うん、時間かかるし味付けもレトルトの方が安心でしょ、まあ小豆は小正月に小豆粥にするから」
「小正月ってなんですか」
「1月15日が小正月ってカレンダーに書いてるよ、朝に小豆粥食べるんだって」
「何かどんど焼き行ったり鏡開きしたり、年中行事的なことが好きなんですか」
「行事が好きっていうか、区切りが欲しいんだよね、仕事がつらいとか毎日つまんないとかいうほどじゃないんだけど、これでいいのかってしょっちゅう思うわけ」
「え、それ自分探し的なアレですか」
「いやあ、ただ生活に張り合いがないっていうか、ぬるぬる毎日過ごしてあっという間に一年終わるのはいい加減嫌になってきてさ、だからこういう行事とか習慣とかで暮らしに区切りつけていったら、もうちょっと自分もいい方向に変われそうな気がして」
 傍から見ればスーツ着こなして朝から元気に挨拶してくれるおねーさんはそれだけで生命力にあふれた存在で小奇麗な部屋とか彼氏との写真とか見せられた日にはリアルが充実しててお羨ましいとしか言えないんだが、人には人の事情というのがあるんだろう。ていねいな暮らし的な真面目さをあんまり持ち合わせていない俺は意識低く毎日だらだら過ごしているわけでこの人とは比べ物にならないが生活に張り合いがないのは確かにそうだった。
「俺からしたらすげえちゃんと暮らしてるように見えますけどね、バリバリ仕事して家事も抜かりなくて彼氏もいて毎日充実してるっぽい」
「あれ、私彼氏いないけど」
「え、写真の人彼氏じゃないんですか」
「ああ、あれ弟、そこそこ顔はいいでしょ、中身はあんまりイケメンじゃないけど」
 ベタなパターンで誤解が解けた可笑しさとだいぶ萎えてた期待感が復活してきたせいで表情筋が緩みそうなのをバキバキに固めて無表情装うしかないんだがともかく心の中では結構な祭り状態になる。弟との仲良し写真を飾るというのもそれはそれで根深い関係があるんじゃないかと片隅で疑ってしまうが今は置いとく。
「あっそうでしたか、仲、いいんですね」
「うん、一緒に暮らしてた時はあんまり仲良くなかったけど実家出てからはたまに会うとかわいいもんだよ、あ、私も餅叩くから貸して」
「俺は上と下にきょうだいいますけど、年取ってからの方がやりやすいとこもありますよね」
「まあ私は弟との写真飾るくらい交友関係狭いっていうか、限られた人たちとしか関わってないんだよ、だから今年は誰かと新しい関係を築きたいとか、そういうのも含めて張り合いが欲しいんだよねえ」
「そ、それはたとえば、俺との関係とか」
「うおりゃ」
 自分の家だからか遠慮なく振り下ろした麺棒から鈍い音がして餅に大きなヒビが入った。
「よし、粉砕」
 この会話の流れで粉砕とか縁起が悪い。俺の話は聞いてなかったのか、食べやすそうな大きさになった餅をボウルに入れて満足そうにレンジにかけている。餅はまだ7割くらい残っていて到底今すぐ食える量じゃなく、ばらけたせいか余計に量が多く見えた。
「さすがにこれ全部は食べないよねえ、ちょっと持って帰ってもいいよ」
「いや、俺一人じゃ食わんと思います」
「そっか、まあ冷凍しとけばいいよね、食べきれなかったらまた呼ぶから」

 レンジでへたれた餅とレトルトのぜんざいを混ぜた若干残念に見えなくもないお椀が出来あがったんだがふたつ並んでいるのは画的に結構いいんじゃないのと思っていたら、何考えてるのかわからないこの人は塩のビンを持って急に改まった顔を向けてきた。
「塩は適当にかけてね、今日はご近所さんをお招きするっていう一大イベントを達成した日だからちゃんとおもてなしします」
「いろいろ言ってることがわからんですけど、ぜんざいに塩入れますか」
「入れると塩気で甘みが引き立つ気がして私は好きだよ、レトルトのぜんざいってひたすら甘いばっかりってこともあるし」
 差し出された塩を俺も適当にふりかけてみる。付き合い始めの頃は自分と相手のちょっとした違いを見つけては埋めていくのが楽しかったのに、いつの間にかその違いが邪魔に感じることが増えていくんだよなと思う。鏡開きしなけりゃ食えない餅を崩したくないからってそのまま食おうとする暴挙に出ると、まともに食えやしないし自分の歯を傷めることだってある。
 俺はよく知らないこの人に歩み寄りたいしできるだけ心を開いてみたいと思うが、結局この人にとって今の俺はただのご近所さんでしかなく一大イベント達成のための駒でしかないのだろうか。
「さっき食いきれなかったらまた呼んでくれるって言ってましたけど、それ真面目にとっていいんですか」
「うん、その時はまたぜんざいでもするか何か作っておすそ分けにいくつもり、今まで家族と学校の友だちと職場の人以外の人間関係がなかったんだよね、だから貴重なご近所さんとして今年もよろしくです、えへへ」
 えへへじゃねえよ。隙だらけの顔して誘惑してんのか真面目に人づきあいしようとしてんのかさっぱりわかんねえよ。
「これからおしょうゆ借りに行ったりするかもよ」
「あ、ウチめんつゆしかないです」
 塩をかけすぎたのか頬張った餅は少ししょっぱかった。