仕事始めは祝祭感が消えていく合図だ

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隕石とまではいかなくても、雪が降れば会社周辺だけ埋もれて入れないようになればいいと思うし、雨が降れば雨漏りで会社のPCなんて故障してしまえと思うし、台風が来れば学級閉鎖みたく会社も休みにすればいいのにと思います。

お正月から働いている方も大勢いて、みんなが休みになる日なんて1日もないのだと思うと、どれだけお金儲けしなけりゃいけないんだと愕然とします。三が日の休みはありがたく過ごそうとも思いましたが、それにしても年始くらいゆっくりとスタートを切りたいものです。せめて、せめて七草がゆを食べるくらいまでは休んでいたかった。

 

高校生の頃、ラジオパーソナリティか何かの職業の人を招いた講演会があったのですが、やたらと「成功」を連呼することに違和感を感じていました。「成功」しているはずのその人が、妙にあくせくしていて楽しそうに見えなかったのです。生意気だった時分、講演後の感想文には「成功することと満足することは違うのだと思った」と書いた記憶があります。

お金儲けに成功したらいろいろ楽になるだろうけれど、お金が入ってこなくても仕事をゆっくり休んだ分、満ち足りた暮らしができればそれでいいんじゃないかと思うのです。

 

会社員ですら不安定だという話もあるとはいえ「毎日行くべき居場所があり、役割があり、お金がちゃんともらえる」のは本当にありがたいことだと思います。

世界との折り合いがつかないと嘆いてばかりの時期が私にはありましたが、仮住まいだとしてもそれなりに自分の居場所を確保する図太さは備わっていて、何か違うなあと思いつつも会社に所属し、どうにか生きてこられました。

心身の調子を崩すほどだったり、つらい役割を押し付けられたりお金がもらえなかったりするのは論外ですけれど、ちょっとイヤだなと文句を言いながらも働ける場所は根底に安心感があってこそではと思います。

 

でももうちょっと、休みの日を増やしてもよかったんじゃないのかな。働けるありがたさも感じているし、時給で雇われている身としては出勤日数が多いに越したことはないですが、三が日明けてすぐに正月ムードゼロで通常業務にいそしむこともなかったんじゃないのかな。 

そういうわけで、私も年始はもっと休みたかったという感想でした。年明け1週間くらい国民の祝日になったら、隕石が落ちなくても休みを満喫できるのかもしれません。それはそれで、休みの最終日に隕石落下をお願いしてしまうでしょうか。