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大人は楽しい。だが大人とは何ぞや

毎年、年始は伯母に着物を着させてもらっています。特に着物で外出するわけでもなく、着るだけ着て満足しているのですが、そろそろ振袖を着られる年齢でもなくなってきました。

いくら未婚でも、いつまでも振袖を着ていられるのはテレビ番組に出演するようなひとくらいでしょう。もういい年した大人なのだと思いながらも、果たして自分がなりたかった大人になれているのか甚だ疑問です。

子どもの頃は、自分を食べさせるだけの収入を得て、金銭面や精神面で誰にも依存しないのが大人だと思っていました。誰にも頼らずたったひとりで生きていくのは現実的でないと今は考えていますが、仕事に就き税金を払いひとり暮らしをしているとはいえ、伯母を頼らなければ着物一枚まともに着ることもできません。実家を出て自立した「大人」になったつもりが、「姪っ子」という立場も幼い頃と変わらず保持していて、このままでいいのかと考えてしまいます。

 

自分で収入を得るようになって、経済的にはかなり自由になりました。

子どもの頃はお金は全て親のものであって、経済活動に対する決定権が自分にはありませんでした。お年玉も親に預けて貯金してもらっていたし、お小遣いを貰うのも小学校高学年になってからで周りの友人と比べてもずいぶん遅く、金額も低かったと記憶しています。

しかし、大人はとても愉しい。子供の頃、十代の頃、お金も力もなくて出来なかったことが、今はできる。(中略)君は今、どれだけ若かったころに果たせなかった欲望を満足させていますか? 今は年相応の欲望にしか興味がないという人は、きっと何時まで経っても人生の充足感を味わえないでしょう。適えられなかった欲望を時差はあるにせよ適えていかなければ、次の段階の欲望を適えることは無理なのです。

嶽本野ばら『パッチワーク』4F キャリアと戸惑いのフロア #12 february 

パッチワーク (文春文庫)

パッチワーク (文春文庫)

 

今なら欲しかった本も食べたかったお菓子も手に入れられるし、尻込みしていたお店や劇場にも足を運ぶことができます。お金があれば適えられることなら、極力適えていきたいとも思っています。

そうやって適えていった欲望に伴って、心も次の段階へ進んで行っているのでしょうか。思い描いていた大人像と今の自分はかけ離れていて、どこへ向かおうとしているのかよくわかりません。

こうすれば大人になれるなんて方法はなくて、このままでいいのかなと疑問を抱きながら手探りを続けるしかないのだろうと思います。立場に甘えて着付けを頼めるとしても、自力で着物を着ようとする努力を怠ってはならないのです。

今年はもっと、将来について考えることが多くなりそうな予感がしています。3年後、5年後、10年後、どんな大人でいられるかはきっと今にかかっているので、できることやしておくべきことを見誤ることなく暮らしていきたいものです。

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それにしても振袖は浴衣を着るのとはわけが違いますね。普段着の着付けから定期的に練習した方がよさそうです。