探り当てられない出どころ/百年文庫『闇』

百年文庫第7巻、『闇』の感想です。 

(007)闇 (百年文庫)

(007)闇 (百年文庫)

 

収録作品

コンラッド「進歩の前哨基地」

大岡昇平「暗号手」

フロベール「聖ジュリアン伝」

弱っている時には読めません

光あるところに闇がある、なんていいますが、この本は闇ばかりな印象でした。真っ暗で何も見えないだけではなく、ねっとりとした得体のしれないものがまとわりついてくる不気味さに覆われています。気落ちしている時に読むには向かない1冊です。

(中略)ジュリアンは立ちどまってじっとながめた。壁にちょうど割れ目ができていた。手をさし入れたら、石ころがある。鳩めがけてほうったところ、石は命中した。鳩はまっすぐ堀に落ちていった。

 ジュリアンはいそいで堀の底まで駆けおりて、身体を傷だらけにしてやぶをかき分け、若い猟犬よりも機敏にあちこちを捜しまわった。

 鳩は翼を折られ、いぼたの木の枝に引っかかったまま、ぴくぴく動いていた。

 しぶとく生きながらえていることが、少年にはたまらなく腹立たしかった。ジュリアンは鳩を絞め殺しにかかった。鳩の痙攣が伝わってくると胸がどきどきし、残忍な、荒々しい快感がこみあげてきた。いよいよ鳥の体がこわばってきた時には、気が遠くなるかと思われた。

フロベール「聖ジュリアン伝」

現代ならニュースに取り上げられそうなジュリアン少年です。狩猟に関する知識を身につけた彼は、必要に応じて狩るのではなく憑りつかれたように殺戮を繰り返し、いつしか自分が野獣のようになっていきます。そしてある時「おまえはその手で父と母を殺めることになる」と呪詛を受けるのです。

自分の行く末を知ってしまったジュリアンは武器を怖れ家を出ますが、結局は武器を持ち戦い、殺戮を繰り返し、果てに両親を殺してしまいます。何が彼を殺戮に駆り立てるのか、詳しいことは何も語られません。ただ目の前に現れた生き物を、ひたすら殺していきます。キリスト教の聖人譚なので最終的には救いが待っていますが、そこに至るまでに語られる血にまみれた日々は、狩りをしたことのない私でも生き物の臭いや生温かい血や荒涼とした大地の風を想像して身震いしてしまいました。

闇は己の中に、そしてひととの間に 

コンラッドの「進歩の前哨基地」はアフリカに送り込まれた貿易会社の社員ふたりが極限まで追い詰められる姿が淡々と語られます。未開の地で自分たちは文明のうちに守られているのだと胡坐をかきながら、象牙と引き換えに生活を失っていくふたり。

ひとりだったのであれば、早々に諦めるか新しい活路を開くか、自分のゆく道を選択する余地はあったかもしれません。ですが、相手の存在があるために依存し、牽制し、保身にはしります。大岡昇平の「暗号手」も同じく、軍隊の中で己の立ち位置を確保するために相手選びを慎重に行い、自分を脅かさない仲間を計算高く作っていきます。微妙なバランスを持って保たれていた関係は、ほんの少しの綻びから大きくズレが生じはじめ、相手を失い、己の闇に呑みこまれてしまうのです。

自分の中に抱えている掴みどころのない闇は、ひとと関わることによって生まれてくるのではないかと思います。やさしく包んでくれる暗闇ではなく、内側から己を呑み込もうとするおそろしいものが集められた1冊。闇を自覚しながらも食い止められない衝動に、打ち勝つ力をもっていたいと思わされます。