<その人々>になる

空の写真をブログに投稿する。

カフェで昼飯を撮る。SNSにアップする。

人身事故で電車が止まる。いらだちをツイート。

上司がゲイバーから出てくるのを目撃する。社内グループメンバーに一斉送信。

海辺で居合わせたライフセイバーの救出劇にカメラボタンを押す。シェア。

 

身の回りは案外刺激に満ちている。何か面白いことがないかと辺りを見回し、ネットをチェックし、気に留めたものはネタとして拡散する。みんなやっていることだ。自分で選んで記録をコレクションしていく。見るものはたくさんある。

 

マンションのベランダ盗撮疑惑をかけられる。

ぼっち飯を食っている姿をSNSにアップされる。

事故にあったひとの家族から悲しみを訴えられる。

キャバクラで泥酔した姿を一斉送信される。

写真撮ってないでお前も人助け手伝え、とコメントされる。

 

気づけば自分に向けられた視線がある。見ているのはいつもこっちで、向こうから見られるなんてことはないと思っていた。周りは舞台と観客席という境界線で区切られていて、いつでも安全圏にいるのだと思っていた。

いつまで自分だけ見物客でいるつもりなんだ?

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毎年12月10日になると、中井英夫の『虚無への供物』を思います。

「――その人々に」と扉に記されたこの物語は、1954年の12月10日に始まります。カーテンが開き、まだ起きてもいない「氷沼家殺人事件」が語られ、度重なる事件や現れては消えるモチーフに翻弄され、私はだんだんわけがわからなくなり、突然物語から指を差され、それでもカーテンが閉じられるまで読み続けてしまいます。

私は見物客でありながら、常に誰かに見物されています。自分だけは大丈夫だなんて決め込んで、大衆というお化けになってしまいたくはない。たとえ傷ついても、小さな声でも、人生の当事者であることを忘れたくはないのです。 

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

 

 

新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)