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叫びたくても叫べないんだ/百年文庫『心』

百年文庫第6巻、『心』の感想です。 

(006)心 (百年文庫)

(006)心 (百年文庫)

 

収録作品

ドストエフスキー「正直な泥棒」

芥川龍之介「秋」

プレヴォー「田舎」

思いを探り当てる

「心」という漠然としたテーマのうちに、語ることのできない言葉が共通して出てきたように思います。かたちのない心を表すために言葉を遣おうとするも、いつでも的確に思いを伝えることはできないし、伝えようとする前に飲み込んでしまう言葉もたくさんあるのです。

 女の手紙は書いてある文句よりは、行と行との間に書かずにある文句を読まなくてはならないと云うのは、本当の事でございましょう。それから一番大切な事が書かずにあると申すのも本当でございましょう。しかしそれはわざと書かないのではございません。自分でもする事の本当の動機を知らずにいることもございますし、またその動機がたいてい分かりそうになって来ていても、それを自分で認めるだけの勇気がないこともございます。そう云うわけですから、わたくし達の手紙はやはりわたくし達の霊をありのままに現していると申してもよろしゅうございましょう。手紙には自分がこうだと思っている通りが出ています。する事や書く事の上を掩っている薄絹は、はたから透かして見にくいと申そうよりは、自分で透かして見にくいと申すべきでございましょう。

プレヴォー「田舎」

 言わなくても察してほしいというのは特に女性にはありがちなのかもしれませんが、男女問わず答えが自分の中にないまま、相手に見つけ出してほしいという時もあるのではないでしょうか。16年前に出会った男女が別々の人生を歩みながら、会うこともない相手のことをひとりで想い続ける孤独。自分でもどうしたらいいのかわからず、それでも「どうしたらいいかわからない」ことを伝えながら自分の想いを表そうとします。

心を伝えるために言葉があるのに、思っていることを素直に伝える難しさはいつの時代も変わらないのでしょう。それでも抱えているものを何とか伝えたくて言葉を探しますが、相手がそれを額面通りに受け取ってしまえばそれ以上のことは何も伝わらないのです。行間を読んだつもりで何もわかっていなかったり、深読みしすぎて曲解されてしまったりすることもあって、相手と言葉と自分の距離はそう簡単に測れません。

イメージや説明がなかなか伝わらない時、自分の頭の中をそのまま見せられたらいいのに、と思うことがあります。専用のヘルメットみたいなものをかぶって、スクリーンに頭の中の考えや情景が映し出されるような道具があれば、伝わらないもどかしさを味わうこともなくていいのにと。でも、心の中をそのまま見せたいとはどうも思えないのです。頭の中はある程度整理できても、心の中は自分にも得体のしれないものが渦巻いていて、言葉を尽くして整理しようとしてもすり抜けてしまいます。

誰か、つかみどころのないわたしの心の内をすくい取ってはくれないかと、淡い期待を持ちながら靄のかかった想いを抱え続けるしかないのでしょうか。 

大切なことは口にできない

許してほしいとか後悔してるとか寂しいとかあなたが好きだとか、気持ちがそのまま伝わればいいのに、口から出ることのない言葉がたくさんあります。 

ドストエフスキーの「正直な泥棒」では、今際の際に盗みを告白した男の最期が、芥川龍之介の「秋」では、自分以外のひとの幸せを思って飲み込んだ言葉が、孤独とともに描かれます。口をつぐんで相手とのコミュニケーションに一枚壁を隔てる行為は、そうでもしないと自分が大切なものをなくしてしまいそうな不安を押し隠すためともいえるのではないかと思います。自分の心をさらけ出してしまえば楽になるかもしれませんが、それよりも後戻りができない恐怖が勝ることの方が多いように感じます。

現代では手紙を書いたり直接相手に会ったりしなくても、不特定多数に心の内をさらけ出すことができるようになりました。それでも、本当に伝えたいことをありのままに伝えられることなんて、いったいどれほどあるのでしょう。つぶやきたくても、叫びたくても、心の片鱗を素直にあらわすのは思いのほか難しく感じます。

空を掴むような、周りをぐるぐる回っているような「心」を感じた1冊でした。きっと想いを抱え込んでひとりぼっちで苦しい時、この本の登場人物たちと一緒に重荷を見なおしたくなることでしょう。