おせちの記憶【第15回】短編小説の集い

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2207年12月31日、松山一恵は160年弱の時を経て重箱を探し当てた。自宅はとうになくなっていたが、残っていた自分の荷物の中に四角い風呂敷包みを見つけた時、わずかながら居場所を取り戻した思いがよぎる。

還暦を迎えて間もなく交通事故に遭い、一命は取り留めたものの昏睡状態となっていた一恵は、家族の意思により当時試験的に行われていた細胞凍結技術によって身体の老化を止めたまま眠り続けていた。意識を取り戻した時には住んでいる地域の名称や慣れ親しんでいた景色は一変し、見たことのない物の方が多くなり、知っている人物はひとりもいなくなっていた。

眠っている間に戦争が起こり、家族も友人も死亡したということがモニタにデータとして白々しく表示される。細胞凍結技術は発展を遂げ、現在は医療制度の一部として利用されているが、一恵と同時期に眠りについた患者は数十年前に意識を取り戻し寿命を全うしたという。昏睡期間が長く、医師による説明を受けずに制度を利用していた状態だったため、リハビリと現代社会についての説明を受け終わるまではワンルームマンションと遜色ない病室をあてがわれ、補助を受けながら生活することを勧められた。

衣食住については保障されている空間で体調だけは順調に回復していったが、フィクションでしか語られないはずの未来に自分ひとりがうっかりと運ばれてしまった空恐ろしさは目覚めてからずっと抱え込んでいる。カレンダーの年数がどうしても呑み込めない。とはいえ、気づけば年の瀬であった。

1月1日生まれの一恵にとって、誕生日祝いとおせち料理は同義だ。本来ならば次の正月で61歳になるはずだが、カレンダーの年数がおかしいので自分が何歳になるのか見当がつかない。だがおせち料理づくりは、年の瀬の一大イベントだった。一緒に過ごす家族のため、ひとつ年をとる自分のために、おせち料理は手作りする。自分が何歳になるかわからないからといって、毎年の恒例行事を放棄してはますますカレンダーに負けてしまいそうだと、久しぶりに台所に立った。

材料は部屋に設置されている小型端末から注文する。途中で何度も3段や5段重ねの「OSECHI」セットなるものを勧めてくるが、操作にまごつきながらも絶対にそのボタンは押すまいと時間をかけて注文を終えた。探し当てた重箱は湿気防止のために挟んでいた紙がボロボロになっていたが、布巾で丁寧に磨くと漆塗りの黒は落ち着いた光を宿し、今年の正月に使っていたかのような心強さがよみがえってくる。

注文した材料は1時間と経たず一恵の部屋に届けられた。いかに未来といえど、食べ物までは極端に変わってはいないことに安堵して、時間のかかる黒豆から取り掛かる。黒豆はまめに働きまめに暮らせるように、と縁起担ぎが頭をよぎった。田作りは五穀豊穣、数の子は子宝、いちいちおせち料理のいわれを覚えているのは、春恵の冬休みの宿題が始まりだったことを思い出す。

 

結婚当初、隆春の実家でおせち料理を饗されることはあっても、自分で作ったことなどなかった。母はいつも通販のおせち料理を注文していたし、子どもの頃はそもそもおせち料理に好物などなかったのだ。義父母が亡くなった後、家族4人で過ごす正月も、自分の誕生日にかこつけてケーキを買うことはあったが、食事は出来合いのオードブルで済ます程度だった。

それが、春恵が小学5年の時に宿題で出すからと言っておせち料理のいわれと写真を求めてきたのだ。祝い肴三種に紅白なます、かまぼこ、伊達巻、昆布巻きに煮しめ、エビやコハダ、赤飯、栗きんとん。スーパーで惣菜パックに詰められた品々を買ってきて、最初は黒豆と田作りだけ手作りしたのだった。

例年と違う重箱に詰められた品に感動したのか、春恵は毎年おせち料理を要求するようになった。隆春も、実家のおせちを思い出すのだと年末の買い出しに協力的になり、新年を迎えるごとに松山家のおせちができあがっていった。そのうち隆志も春恵を踏襲して宿題に我が家のおせち料理を出すことにし、春恵はおせちづくりを手伝ってくれるようになった。年の瀬はおせち料理の準備とともに、家族で過ごすのが当たり前になっていたのだ。

春恵が早々と学生結婚し、隆志も無事就職して家を出た後も、おせちづくりの習慣は残った。夫婦ふたりなら三が日も充分に乗り切れる量を飽きもせず食べ続けていたのは、新年というより自分の誕生日を、家族と歩んできた料理で迎えたい思いがあったからだ。

黒豆にしわが寄らないコツをつかんだ。伊達巻も手作りするようになった。テリーヌや揚げ物も加えて彩りも考えて盛り付けた。味の含みがちょうどいいと夫婦で煮しめをつつきあった。菊花カブの美しさを娘と競うように作りあった。母さんの栗きんとん食べたくて、と息子が帰って来た。

家族と過ごした年の瀬がさざ波のように押し寄せてくる。それは家族の不在をさらに己に突きつける結果となった。混乱し、情報に呑まれ、息を詰めて、心に開いた穴は埋まらないまま、独りぼっちでただ生きている。あの頃に帰りたい。どうして自分だけ置いていかれたのか。視界がぼやけて嗚咽する声が漏れた。無機質な台所に野菜が形を揃えて煮られるのを待っている。手綱になる最中のこんにゃくがまな板に乗っている。黒豆が吹きこぼれそうになる。

 

「あのう、松山さん、大丈夫ですか」
突然声をかけられ、あやうく声を上げそうになりながら一恵は振り向いた。ドアを少し開けて、隣室の患者がおずおずと覗き込んでいる。隣には看護師もついていた。各個室はオートロックだが、患者の容体の変化に備え看護師はセキュリティ解除することができる。
「松山さんのお部屋から、すごくいいにおいがするので気になって何度かインターホンを押したんですけれど、お返事がないので何かあったのではと思って、すみません」
「まあ、こちらこそすみません、考え事をしながら料理していたもので」
気づかれぬよう目元を払いながら、あまり会うこともなかった隣人の顔を改めて見つめる。年若い女性だ。春恵とあまり変わらないくらいではないだろうか、そう思うと目頭が熱くなる。
看護師が部屋に入ってきて、体調について質問してきた。何も問題がないことを確認して看護師が部屋を出ていくと、隣人だけが部屋に残っていた。
「あの、そのお料理、出来合いのお惣菜でも材料フルセットの調理キットでもなくて、ご自分で一から作ってらっしゃるんですよね」
「え、まあ、材料は自分で、あのタブレットっていうの、あれで注文してそれを料理してますよ」
「すごい、わたし、細胞凍結で10年眠ってたんですけど、10年前だってプロの料理家さん以外にこんなことしてるひと見たことないです、おせち、ですよね、自分で作れるんだ」

たどたどしく、興味津々でこちらに話しかけてくる隣人は、初めておせち料理を用意した正月の隆春と同じ顔をしていた。うわずった声はおせちを写真に収めてはしゃいでいる春恵によく似ていた。まな板の上や鍋の中身をそわそわと気にする様子は隆志そっくりだった。

どうやら手作りのおせち料理は「現代」では過去の遺物のようだ。だがその遺物によって、明日新しい年を素直に迎えることができるかもしれない。新しい年とともに、61歳、もしくはプラス百何歳の新しい自分は前を向けるかもしれない。

一恵は隣人を招きよせ、昔の話だけれど、と前置きをして手綱こんにゃくを作り始めた。