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別れの季節/百年文庫 『秋』

百年文庫第4巻、『秋』の感想です。 

(004)秋 (百年文庫)

(004)秋 (百年文庫)

 

収録作品

志賀直哉「流行感冒」

正岡容「置土産」

里見弴「秋日和」

冬の入り口、夏の名残り

百年文庫でタイトルに四季を冠しているのは、この『秋』のみです。食欲の秋とか芸術の秋とか言われますが、春に比べると夏や冬とゆるやかにつながった、流れるような季節であるように思います。

それにしてもあの古寺の一とくさりを教えてもらうまでに、一体幾百何十日かかったことだろう。そうして、その間にはあらゆるいろいろさまざまの出来事が、何と次々に現れては消えていったことだろう。それすら今はみななつかしい。あのことごとくが、みんな勉強だったのだ。修行だったのだ。わずか一年あまりの月日ではあるけれど、五十三次六十九次、東海道木曾街道の山や川や森や林や断崖絶壁、蔦の桟橋。津々浦々を歩きつくして、いまようやく自分は上りの京は三条大橋へ一歩踏み込んだという感じ。

正岡容「置土産」

講釈師・桃川如燕に弟子入りした若き日の桃川実(一立斎万之助)を描いた本作は、今年ももうすぐ終わりだという秋の暮れに始まり、まだ浴衣を着られるくらいの、秋の空が青い日に終わります。

両親を亡くし、一立斎文車に入門するもすぐに死別した万之助のところに現れた如燕。彼の他に演れる人はいないと言われている「桃川百猫伝」の「鍋島の猫」古寺の怪の場面を教えるという話だったのに、万之助はなりゆきで金の工面や葬式の手配をするはめになります。猫の演り方を教わるために正式の内弟子でもなく、留守番でもなく、居候でもない不思議な立場のまま住み込みとなる万之助ですが、自分からやると言っておいてすっぽかす「やるやる詐欺」の権化のような如燕に振り回されっぱなしです。ふたりとも講釈師だからかやりとりも軽妙で、講談に関する知識がなくても楽しめました。

如燕は大怪我をして入院した時、ついに万之助に「鍋島の猫」古寺の怪の場面を教えます。自分以外に誰も演らない理由を、この一席には筋がないから、誰も真似ができないのだと語ります。

「……芸ってやつはな、所詮一人々々の魂の中に別々に活きてかがやくものなんだ。お前はお前でなけりゃいけねえ。忘れても俺の芸の皮なんぞ真似しなさんな。そうして取るなら俺の……俺の肉の方を根こそぎ取って。分ったか。なあ、万之助さん分ったなあ」

正岡容「置土産」

七匹出てくる猫を実際に演じてみせる場面は、まさに七変化というにふさわしい迫力がありました。ひとりの人間がいないはずの様々な猫に化ける姿は、如燕の魂が全身を使ってあらわれているようです。講談ってこんなに表情豊かで臨場感にあふれるものなのかと思わされました。

万之助は再び師匠と死別してしまいますが、桃川燕林を襲名しさらに飛躍していくことを予感させる爽やかさがありました。そして如燕が三十五日の日に開けてくれと遺した封筒の中身も「嘘つきの出鱈目の大与太だった」師匠を偲ばせる、思わず吹き出してしまう内容で、からりとした秋空に重なる読後感を味わえます。

この著者のことを全く知らなかったのですが、巻末の「人と作品」によると作家活動だけでなく寄席や浪曲に造詣の深い人物であったそうです。Wikipediaにも「作家、落語・寄席研究家」とありました。

正岡容 - Wikipedia

下敷きになる知識が乏しいので落語や講談はよくわからないと思っていたのですが、この作品を読んで寄席に行ってみたくなりました。

死の影でつながりあうひともいる

共通して人との死別が描かれているのに、どの作品もさわやかな読後感でした。

「流行感冒」には第一子を亡くしたことで、第二子・佐枝子には過剰に気を揉む父親が登場します。ちょっと病気になっただけで「死にはしないか」と心配したり、野ざらしの芝居なんて観に行ったらきっと風邪を引いて人にうつすからといって、女中に芝居見物を禁止しようと考えたりします。

そんな神経質で子供に過保護な父親と、ちょっといい加減な女中・石との関係のちょっとした綻びと修復が描かれます。

「秋日和」は夫の七回忌を迎えた未亡人の娘が結婚するまでの1年間が、様々な登場人物の目線で語られます。こちらは小津安二郎が映画化している作品です。 

あの頃映画 松竹DVDコレクション 「秋日和」

あの頃映画 松竹DVDコレクション 「秋日和」

 

人の死が湿っぽくならず描かれていて、故人を偲んで集まる法事で新しい出会いも生まれます。年月を経て悲しみが色褪せたわけではないけれど、各々が少しずつ前へ進んでいく様が秋空や銀杏と相まって胸に迫る物語です。

四季それぞれの特徴をあげていたらきりがないですが、秋は紅葉や食べ物だけではなくて、空で描かれるのだなと思った1冊でした。