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やる気スイッチと羞恥心チューナー

やる気スイッチという言葉が言われるようになって久しいですが、私はどうもスイッチを入れるだけではうまく行動できないことがあります。やる気を起こして行動する時、羞恥心がそれを阻むことが多々あるからです。

好きな本の感想を書きあげて読み返したら内容が我ながら気持ち悪くて文章を削ってしまうとか、目当ての漫画を買い込もうと書店へ出かけたら、思いのほか手に取るのが恥ずかしい表紙の本ばっかりで買うのを躊躇するとか、傍から見れば何でもないようなことでもいちいち立ち止まってしまいます。

やりたい気持ちを後押しするやる気スイッチはつきっぱなしなのに、とるに足らないことをやろうとしているだけなのではないか、人に笑われはしないかという恥の感覚が増大して「やりたいのにできない」状況を作り出しているのです。

この恥の感覚を私は羞恥心チューナーと呼んでいます。やる気スイッチのようにON/OFFで切り替えるものではなく、チューニングして強弱を調整することで行動のバランスを取ります。

好意を寄せる相手に対して羞恥心チューナーを最大まで上げて接しようとすれば何もできないでしょうし、逆に最低まで下げればありのままの全裸を晒す変質者になりかねません。ON/OFFの明確な区切りがないため、その時々によって微妙な調整が必要となります。

また、やる気スイッチは自分だけでなく他者からの影響によって押されることもありますが、羞恥心チューナーをコントロールできるのは己のみです。外部からの刺激によってチューニングを変えることはあっても、匙加減は自分で決めるしかありません。この匙加減を誤ると、大切な一歩が踏み出せなかったり踏み出してはいけない領域に足を突っ込んでしまったりするわけですが、絶妙な位置に着地するには悶々と己と向き合っていかなければならないと思うのです。

スイッチ一押しで何でもやる気になって物事を進めていけばいいのに羞恥心に足止めを食らうというのは、自意識過剰なうえ客観視も過剰だからなので、自分の内面なんて放っておいてどんどん外に出ていけばいいともいえるのでしょう。ですが、少なくとも飾り気のないありのままの自分なんてものは到底人様の前に出ていけないので、やはり羞恥心チューナーを使いこなす技量が必要になってくるのだと思っています。

そういうことを考えながら、創作をしたいと思いつつ足踏みをしている自分に歯ぎしりするのでした。 

やる気のスイッチ!

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羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)

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