目に見えない強さ/百年文庫『絆』
百年文庫第2巻、『絆』の感想です。
- 作者: 海音寺潮五郎,コナン・ドイル,山本周五郎
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2010/10/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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収録作品
海音寺潮五郎「善助と万助」
コナン・ドイル「五十年後」
山本周五郎「山椿」
魂がぶつかる、想いあう、求めあう
絆をひとりで生み出すことはできません。第1巻「憧」が内向きに他者を思い求める物語だったとすれば、本書「絆」は自分の内的な気持ちとは別に誰かを思う物語と感じました。
「……意地を捨てるくらいがなんじゃ。なにがむずかしいことか。そうでなくば、お家のためには一身を惜しまぬと日頃言うていることは偽りになると考えぬのか。誰じゃとて、意地は通したい。言いたいままに言い、したいままにしたい。それをせぬは、浮世の義理というものなのじゃ。ましてや、大名の家の家老ともなれば、人にいく層倍、いく十層倍するかんにんとしんしゃくがなければならぬのだ。よく分別して見られるがよいぞ」
海音寺潮五郎「善助と万助」
筑前黒田家に仕え、後に家老となった栗山備後(善助)と母里但馬(万助)。理知的な善助に比べて強情で荒々しい万助を見かねて、主人の黒田如水は少年たちに兄弟の約束をさせます。しかし成人し身分を与えられてゆくにつれ、ふたりの距離はどことなくよそよそしいものに変貌してしまいました。
そんな中、家老になっても強情で己の言い分を押し通そうとする但馬に対して、ついに備後が激昂、但馬を殴りつけ厳しく諭します。50過ぎのおじさんが体を張って殴り殴られ、熱い言葉と友情を交わすシーンは、読んでいるこちらも胸が熱くなりました。口には出さなくても、肝心な時引きあうことのできる関係がうらやましくもあります。
コナン・ドイルの「五十年後」と山本周五郎「山椿」はどちらも愛し合う男女が離れ離れになる話です。
「五十年後」では時間も場所も駆け抜けて思いあうふたりが描かれ、「山椿」では絆を取り戻す男女の姿と、当たり前のようにあった絆に男が気づく様が語られます。どの登場人物も孤独と闘い、己を貫き顔を上げて、立ち止まっては前へ進み続けます。
かたちがないものを信じること
誰かとかかわる時、どうしても目に見えるつながりに頼ってしまうことがあります。それは携帯電話のアドレス帳だったり、婚姻届だったり、ひっきりなしに送りあうメッセージだったりするのでしょう。自分の思いを表さず、じっと心の中で相手のことを思い続けることは、時に不安を呼び起こします。それでも思い続けられることが、強いつながりを生み出すのではないかと思います。
いつも一緒にいたり、わかりやすい言葉でお互いを確かめあったりしなくとも、絆で結ばれたひととひとは時間や場所を超えて通じあえるのだと感じさせてくれる1冊です。
こんな「絆」こそ、私にとっては「憧れ」だなあと思ったのでした。「憧れの物語」として1巻に収録されていてもおかしくない。