紀長谷雄とは何者なのか/灰原薬『応天の門』

心待ちにしていた漫画『応天の門』(灰原薬/新潮社)の新刊が出たので、勇んで本屋へ向かいわくわくと読んでおりました。今回は作中の登場人物、紀長谷雄について書こうと思います。 

応天の門 1 (BUNCH COMICS)

応天の門 1 (BUNCH COMICS)

 

 作中の紀長谷雄は菅原道真とは学友で、学問にはあまり熱心ではないが博打や女に目がなく、ゴシップ好きでコミカルな設定です。澁澤龍彦の『女体消滅』で紀長谷雄を知った私としては、そばかす顔の若々しい長谷雄にびっくりしてしまいました。ドラえもんを頼るのび太君ポジションです。

実際の紀長谷雄については記録があまり残っていないようです。菅原道真の友人といわれていますが、知り合った時期や親交を深めた時期などははっきりしていません。

菅原道真は略歴や多くの資料から、学問に通じていて政治も執り行うエリートだけど、あまり人付き合いとか得意じゃなくて敵を作りやすいタイプだったのだろうというイメージ像ができているように思います。でも紀長谷雄の人物像を考えると、なんとなくちぐはぐな印象があるのです。

菅原道真の友人と言いつつも阿衡事件では道真とは対立するポジションにいたり、中納言に昇進し天皇の侍読も務めていたのに、陰陽師の占いを無視して外をほっつき歩くという当時の常識を覆すエピソードを持っていたり……。

何より、それらの行為に対する紀長谷雄の思いや考えが残っていないので、想像力で補完するしかないのだと思います。後に「長谷雄草子」が書かれますが、これは紀長谷雄という人物よりは、天神様を登場させることを目的としている物語ともいえます。

いろいろな人のところをフラフラしながら、顔だけ出して何をやってたのかよくわからないひと。いざこざでは不利な方を避けるように、うまく立ち回って順調に出世していった人物像もあるようですが、個人的には友人の道真のために波風立てない道を選んだ結果であってほしいなと思うのです。

政界では藤原氏の権力が増してゆき、学界では学閥間の対立が起こる中、事を荒立てずに早く昇進して自分も力を持つことで友人の力になるのだという意思が働いていたのなら、一時的に友人と対立しようが、長いものに巻かれるようにあちこちをフラフラしていようが納得できます。

ちなみに「学者先生は何を考えているのかわからない」と、鬼が見える人物なんていう噂もあったようです。だからこそ「長谷雄草子」が書かれたのかもしれませんが、恐れるべき対象の鬼と普通に双六打ってたというのはなんだか微笑ましいです。

ひととなりは靄がかかっているのに、妙な尾ひれのついた不思議な話は残っている紀長谷雄という人物が菅原道真と同じくらい気になってしまいます。漫画はこれから応天門の変に向かってストーリーが加速していきそうですが、長谷雄の出番はどれくらいあるのかなあ。