「すること」のためにないがしろになっていた「いること」

手帳で楽しく自己管理できたらいいなと思い、あまり読んでこなかったビジネス書や手帳術の類を最近は手に取るようにしていたのですが、読み進めるにつれて自分がボロボロになっていることに気づきました。

仕事が思うようにいかず周りの協力も得られず意固地になり、溜まったストレスを休日まで引きずって周りを心配させ、ついに体に不調が出てきました。体を壊す前に気づけという話ですが、目に見えるかたちにしないと心が壊れる寸前だったんだろうと思います。

仕事や生活の中で「すること」ばかりに追われて余裕をなくしていたうえ「やりたいこと」も「やるべきこと=すること」として組み込んでしまっていました。結果、日々の最低限の「すること」で手いっぱいになり、自分のやりたいことも実現できていないという、現実からも理想からもそっぽを向かれたような感覚に陥っていました。

疲れたとか精神的につらいとかいうと、よく「あなたはそのままでいい」というフレーズに出会いますが、私はどうしてもこの言葉に素直に頷くことができないのです。このままじゃイカンと思ってるから「すること」をどんどんこなして頑張っているのだと反論してしまいます。

でも、それを続けていくうち体調を崩したということは「すること」をこなして頑張ること=私が「いること」自体を揺らがせる、自己否定の塊みたいな行為だったのではないかと思ったのです。本当はしなくてもいいのに「すること」にしていたり、やり方やペース配分に無理があったり、原因を考えればきりがないのでしょう。

自分の身をもって知るというのも情けないと感じてしまいますが、やっぱり無理しないとできない仕事はあんまりしたくないのが本音です。「いる」ためには「すること」をしないといけないんですが、それってこんなに高いハードルが必要なの?とやっと疑問を持てたように思います。

まずは体調をととのえるところからですが、ブログを書く気力は残っているので、これ以上落ち込まないように気を付ければ大丈夫と、そのあたりは妙に楽観的です。